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2019年09月09日:重陽を祝うⅠ【プーレジョンヌと不老長寿のメニュー】@A ta guele (アタゴール)

    9月9日は【重陽】ということで、長生きと健康を祝うために【菊】を愛でる日でもあります。丁度何時もお世話になっている”某氏”のお誕生日が9月なのですが、私に丁度食べたいモノがあってシーズン的な事もあったので、”某氏”のお誕生祭を10月に、私の食べたいモノを9月にして、また、かねてから”某氏”は「アナゴのマテロート」を食べたいと言っておられた事から、それを食べる事にして9月に先ず一回目のお祝いを、そして10月に二回目のお祝いをと言う具合に【重陽の祝い】を2回行おうという事にしたのでした。

アミューズ:南瓜のパリソワール(creme de potiron en Paris-soir)



    最初のアミューズとして「南瓜のパリソワール(creme de potiron en Paris-soir)」

    【重陽】は【菊】にちなんで「黄色い」ものを食べる日でもあり、「菊」や「栗」といったものを食べたりします。
    この「黄色いモノ」を食べるのは、夜空に輝く【月】の色が「黄色」と言う事と関連がある訳ですが、【月】が一番綺麗に輝く時期である「9月」にこれまた一番綺麗に咲く花である「菊」を重ね合わせた事によるのでしょう。
    それゆえ、「菊」にたまった「夜露」がまさに【月】からの恵みということで、古来は「菊のお酒」などを飲んでいた訳です。
    ここでお酒が飲めれば流れとしては簡単な部分もあるのですが、生憎、ワタクシメも”某氏”も下戸なので「お酒」はダメ………
    そこで曾村シェフは色々と考えて下さったのでしょう……「黄色いもの」「秋のもの」……

    暑い夏が終わって恵みの秋を迎える時期には様々な美味しい味覚が到来しますが、「南瓜」もそのなかの一つとして昔から美味しいモノの一つとして「芋」「蛸」「南京」などと井原西鶴が書いていたりもします。
    また、秋の味覚の代表格でもある「南瓜」は黄色から橙色まで非常に色の変化に富んでいます。
    そう、だからこそ「黄色い」「南瓜」をスープとして持ってきたのでしょう。

    まだ熟れるには早いけれども、若い苦々しさとも違う「南瓜」をスープにしてコンソメのジュレを合わせての”パリソワール”……そしてそれには何と「金箔」が!!!
    長生きと健康を祝う【重陽】に、これまた不老不死の霊薬の原料とでも言うべき【金】……
    古の為政者・権力者と【金】にまつわる話は幾つもありますが、彼らが【金】に注力したのは、その財産的・美術的な価値はもとより、永遠に変わらない輝きと言う部分からの「不老」「不死」といった事を連想させる存在だったからではないでしょうか。

    【月の光】を思わせるかのような透明感をもった「黄色い」カボチャのスープは【月の雫】の象徴でしょう。そして、「不老不死」の象徴とも言える【金(金箔)】……贅沢にもこの2つが重なり合うスープは、曾村譲司という凄腕のシェフの手を経て、美しい・美味しいを超えて、飲む者の命を潤すネクターの如き甘美な飲み物へと変化したのでした。

前菜:エゾボラ貝と蝦夷アワビのエスカルゴ仕立て E&Oオリエント急行風(coquille et oreille a la escargot parfum E&O express)



    実は、かねてから食べてみたかった通常メニューの「エゾボラ貝のエスカルゴ仕立て E&Oオリエント急行風(coquille et oreille a la escargot parfum E&O express)」
    これは、アタゴールの曾村氏がタイとシンガポールを走るE&Oオリエント急行の中で創り出した氏の”スペシャリテ”の一つ
    以前に「蛙」をこの調理法を使って食べた事があるのですが、その時の味が非常に素晴らしく、今度は「蛙」ではなく、通常のスタイルで食べてみたいと常々思っていた一品なのです。

    ようやく、今回、待望の「エゾボラ貝の……」を頼む段取りになってウキウキしていたのですが、何とここでも”サプライズ”が

    何時もお世話になっている支配人の市川氏が

    「エゾボラ貝のE&Oスタイル……半分はアワビになっております。」

    何と何と!!「貝」は貝でも「アワビ」になっているとは……本当にうれしいサプライズとはこの事で、そのサプライズと言う点でも、また同時にこの「アワビ」と言う点でも曾村氏の深い”狙い”が隠れていたのでした。

    実は「アワビ」は「不老長寿」の象徴

    かつて、秦の始皇帝は不老長寿の霊薬を探させた事は有名な話でありますが、どうもその【霊薬】とは「アワビ」だったようで、先ほどの「金箔」に次いで、ここでも「不老長寿」を含意としてきたのでした。

    元々の素材としての「エボゾラ貝」の弾力感ある質感に絡むコブ蜜柑を始めとする南方のハーブ類
    以前、「蛙」で食べた時もその非凡なハーブ使いと調合の仕方に一躍虜になったのですが、今回の「エボゾラ貝」は癖になりそうな美味しさです
    そして……「アワビ」……アワビ独特の旨さと、エボゾラ貝以上にしっかりとした弾力が、ますますもって、この緑色に練られたハーブ類と合わさって、本当にこんな美味しいものがあって良いのだろうか???と思わずにはいられない美味な空間を口の中に創り出すのです。

    「不老長寿」というものに関わる存在としては「医者」という存在が考えられますが、素晴らしい「医者」が必ずしも良い「料理人」になれるとは思わないけれども、逆に素晴らしい「料理人」は良い「医者」になれると確信をするのです。
    何故ならば、医者は「体に効く不味いモノ(良薬は口に苦し)」は出来るでしょうが、恐らく、「体に効く美味しいモノ」は出来ないでしょうから……

    改めてこの緑色の調合されたハーブ類を纏った料理を食べると、「世の中には本当に凄いモノを作る御仁がいるな」と思わざるを得ないのです。

    また、始皇帝はその立場と力にモノを言わせて「アワビ」を幾らでも食べる事は出来たであろう。しかし、残念ながらこの【E&O風】の「アワビ」を食べる事は出来なかったのである。そういう意味では、今の名も無き食いしん坊のワタクシの方が始皇帝よりも良い想いをしている!!と割と本気に優越感に浸るのでした。





夏アナゴのマテロート 肝焼き アタゴール風(matellote de congre d'ete a l' Ataguele)




    さて、次の前菜は「夏アナゴのマテロート 肝焼き アタゴール風(matellote de congre d'ete a l' Ataguele)」
    この”某氏”は、アタゴールの「夏アナゴのマテロート」がいたくお気に入りで、ことある毎に「アナゴが」「アナゴが」と口走るくらいお好きな方なのですが、元々は「鰻」が大好物な方で、近頃の高騰して元気のない鰻に憤慨されている所に、アタゴールのこのアナゴの一品を食べて頂いたところ、たちまち曾村氏のアナゴに心奪われて、今では「鰻屋の鰻よりも曾村さんのアナゴが食べたい」と宣う程なのでした。

    アナゴを柔らかく、しかし日本風の柔らかさではなく、肉質に歯をちゃんと入れて行く位の柔らかさに、これまた少し硬めに炊いたご飯を合わせます。
    この時に、ブルゴーニュワインで「詰め」を作ってアナゴとご飯にかけるのですが、本当に”不思議な位”日本的な味のする「アナゴ飯」に化けてしまうのです。

    日本料理の方がフランス料理を作ると言うのは余り聞く事は無いですが(往年の”料理の鉄人”の坂井宏之氏などは日本料理ご出身)、逆にフランス料理の人はフランス料理として日本の料理を再構成出来たりするので、非常に技能・技術の厚さを感じるところです。
    曾村氏は、ベルギーでの公邸料理人時代に、それこそ「和」も「洋」も全部一人でこなさなくてはいけないと言う職責だったそうで、蕎麦も打てば、寿司も握ったとの事で、そういった経験(ある意味、やらざるを得ないと言う経験)が、フランス料理を日本料理に、日本料理をフランス料理に、と【洋の東西】を変換・再構成する事を可能にしているのだと思うのです。

    アナゴの身に絡むブルゴーニュワインの(詰め風)甘さの上品な甘さが、ご飯の甘さと重なると「アナゴ」の美味しさを何倍にも引き揚げてくれます。
    アナゴとご飯を食べる、アナゴを食べる、ご飯だけを食べる……上に乗っている蓮の実のホックリとした食感とちょっとした白い味が、これまたブルゴーニュの赤と巧く組み合わさってくれます。時々口の中がブルゴーニュでいっぱいになったら、一緒に添えてある金糸瓜や、ハトウガラシのマリネをちょいちょい口の中に入れて中和しつつ、大振りな肝と松茸のシャシリーク(串焼き)を頬張ります。
    「鰻の肝」ほどに癖が無いアナゴの肝は、意外のひと言ではありますが、それだけに繊細な松茸の味とも良く馴染んでいます。

    では、この料理に今までの様な【謎かけ】は何処にあるのでしょうか?

    「金糸瓜」……丸く満月の様に盛られた黄色い透明な物体……
    ”美容”にお詳しいかたは、「金の糸」を顔に使って”アンチエイジング”の用に供するをご存知かと思います。
    「金の糸」が丸く、お月さまの様になっているのは、まさに「長生き」を祝う【重陽】に相応しい演出に違いないと思うのでした。

お口直しのグラニテ (granite de melon d'eau)




    お口直しは、「マスクメロンのグラニテ(granite de melon d'eau)」

    「マスクメロン」とは【musku melon】と書き、”仮面”の[mask]では無い……【musku】とは、香水に含まれている「ムスク」すなわち”麝香猫”の香りに由来しての名前。
    そんな”芳香”に注視された放射状の線が入った高級メロンも、今は、アメリカ政府肝煎りの研究対象となったスーパーフードとして、
    それこそ「医食同源」「未病」への途へとつながる食べものだったのでした。

    「メロン」と言えば、生ハムとメロンと言うのがベタな組み合わせでもありますが、ハムの塩っ気を下げるメロンのカリウムの存在と言う事じ、実は理想的な食事の組み合わせの一つとして取り上げられたりもしますが、たまに目にする話として、イタリア人やフランス人が一見身体に悪そうなモノを食べているのに”適当に長生き”なのは何でか?などと言う事があったりします(French Paradox)。

    ワインに含まれている「ポリフェノール」の効果と言う事を言われた時期もありますが、この「メロン」の様に、知らず知らずのうちにお互いを補完し合って(あるいは相克して)身体にプラスマイナス零にするような組み合わせと言うモノを経験則的に見つけてきたのかも知れません。

    かつて【神農】と呼ばれる伝説上の存在は、我々人間が食べて良いモノと悪いモノを区別するために、自らが大地にあるモノを片っ端から食べて、内臓の部分が透明になっていて、【毒】があれば内臓が黒くなって食べてはいけないと言う事を教えた(調べた)とされています。
    この話は、人間と食物との関わりを示す興味深い話ではありますが、最初は「食べれるか食べれないか」、次は「美味しいか美味しくないか」、そして「健康や若さを増進するか」という”探求”の一過程の端緒としても非常に重要な位置付けを占めると思っています。

    「一つの美食ではあるが、同時に身体にも効く

    そんな夢のようなフランス料理の登場も、そう未来の出来事では無いのかも知れません。

メイン:プーレジョンヌ 夏のアロマの香り (poulet jaune de Landes aromatique d'ete)






    お次は、今回どうしても食べてみたかった「プーレジョンヌ」を使った「プーレジョンヌ 夏のアロマの香り」
    元々は【鶏】が余り好きでは無いワタクシ……でしたが、今年頂いた「プーレノワール」を使った料理の幾つか【プーレノワールのアンリ4世風】【プーレノワールのテリーヌ】を食べて、【鶏】も美味しいなと言うことを認識したので、アタゴールで新しく”プーレジョンヌ入りました”というメニューの表示を見た時には、早速食べてみたいという気持ちになっていたのでした。

    【プーレジョンヌ】とは、鶏の餌をトウモロコシを中心にして育てた鶏の事で、「プーレ:鶏」「ジョンヌ:黄色」とはトウモロコシを食べて、肉と皮が黄色くなる状態にまで育て上げた【鶏】の事を指すのです。

    「黄色い鶏」……考えただけでも美味しそうな訳ですが、実際にプーレジョンヌの写真を見ると、やはり肉が黄色くなっていて、これはどんな味がするのだろう……とワクワクしていたのでした。

    そんな事もあり、”某氏”のお誕生会を来月に延期しつつ【重陽の会】などという名目にするという荒業をしてまで「プーレジョンヌ」を食べようと考えたのでした。

    ワクワクと胸が高鳴る中で、市川氏がプーレジョンヌを運んできました。

    プーレジョンヌ 夏のアロマの香り」です「「肩」「胸」「ささみ」を使ってあります」

    ガラスの蓋が明いた瞬間、甘い匂いが立ち込めて鼻腔の奥をくすぐってきます。
    「エストラゴン」「タイム」「ホーリーバジル」の匂いと、鶏からの甘い匂いが合わさって、芳香になるのは何とも素晴らしい組み合わせ方では無いでしょうか!


「aromat(アロマ)」の本来の意味は
口から鼻へ抜けた時に感じるワインの果実香の事


<<写真(左)プーレジョンヌ 肩(中央)ささみ(右)胸肉>>



    「aromat(アロマ)」とは、上でルイが言っているように「口から鼻へ抜けた時に感じるワインの果実香の事」を言い、転じて、最近は「アロマオイル」や「アロマランプ」などのリラックスする”芳香”(または芳香作用)という意味合いが浸透していますが、フランス料理的には香草や香味野菜などを使って作るソースの事を指します(「sauce aux aromates」)。

    残念ながらアルコールが飲めないワタクシ(&某氏)は、十分この香りでルンルンな気分だったのですが、これでワインが飲める方は、もっとワインとの相乗効果で違う世界が広がるのかもしれません。

    皿の真ん中に聳える「根セロリ」と小さいけれども人目を引く「ツユムラサキ」が印象派ともアールデコの様な雰囲気を醸し出していますが、一番このお皿に深くてインパクトのある色調を加えているのは、「プーレジョンヌ」の”黄色”そのものでしょう。

    今回、この「黄色い鶏:プーレジョンヌ」をお目当てにしてのコースなのですが、目の前に運ばれて来て目についたのは、この”鶏の黄色い皮の部分”でした。
    想像よりも濃い黄色の【鶏】は、本当に「黄色い鶏」と呼ばれるに相応しい色をしています。

    かつて美食に理論的な整合性を与えた「ブリア=サヴァラン(Brillat-Savarin)」の名言でもある、「貴方が何を食べているかで貴方がどんな人物かを当ててみよう」というセリフそのものを見るかのようです。
    もちろん、ブリア=サヴァランの言う意味合いは、その人の職業や人格と言った【属性】を表すもので、【鶏】を念頭にはおいて発言をしていないでしょうが、それでも「その鶏(の味)がどんな鶏なのか当ててみよう」という件はそのまま用いる事ができそうです。

    では、「プーレジョンヌ」は、この「ブリア=サヴァラン先生」がおっしゃるところの理屈の様に「トウモロコシ」の味み満ち溢れているのでしょうか?

    残念ながらハズレです しかし、それは良い意味でのハズレでした」

    黄色い色はどうしてもトウモロコシと結びついてしまいますが、そんな事は無く、むしろ脂肪が良く乗った肉の美味しさは素晴らしく、これから他の鶏を食べた際にどうしても比べてしまうようになってしまうかもしれません。
    そして、一番特筆すべきは、”その皮”……本当に世の中には知らない事が沢山あって、以前、とある所にご一緒した方が美味しいモノを食べて思わず宣うた「知らないと言う事は罪だなぁ」という名言を思い起こしてしまいました。
    トロリとしたその皮の味は素晴らしく、かと言って、養殖の良くある鶏のだらしなくダランとしたそれでは無い。
    それこそ、たまにお祭りの屋台などで「皮餃子」なるものが売られていたりしますが、その皮餃子にこれを使ったらそれこそ素晴らしい一品が誕生する様な気がします……
    ジャンル違いではあるものの、かの【北京ダック】が「皮を至上なるモノ」としている理由が、このフランス料理の【プーレジョンヌ】を食べて、凄く得心したのでした。

    さて、この「プーレジョンヌ」……素晴らしい「皮」とその間から溢れる「脂」や「肉」からこぼれる「ジュ」を食べるのは、まさに「菊」から滴り落ちる「雫」を飲む【重陽】に相応しい一品だったと思うのです。

    「黄色を眺め、その雫を味わい、葉や土の匂い(芳香)をかぐ

    料理としては一つのお皿に凝縮された存在だけれども、その中には、曾村氏の機智と仕掛けが隠れたこの一品は、これまた何枚もの花弁を持つ”菊花”の様にも見えるのでした。

デセール:イチジクのコンポート(compote de figue)




    今回のデセールは「イチジクのコンポート(compote de figue)」

    これは、以前”某氏”がアタゴールを訪れた際に作ってくださった事があった品だったので、その事を覚えておいてくださったのかな?と最初は思ったのでした。
    が……おそらく、それも「正解」なのですが、もう一つの意味が込められているのに気が付くのにそう時間がかかりませんでした。

    イチジクの寓意は不老長寿

    ”お見事!!” その一言であります。

    古来より、手軽に育てられる(生命力が強い)「イチジク(無花果)」は、その素晴らしい薬効(喉の痛みを治す、滋養、便秘等)も手伝ってか、様々な寓意に用いられる果実でもありますが、今回のテーマである「長生きと健康」という【重陽】にこれほど相応しい食べ物はありません。

    そして、この「イチジク」に、アタゴールで一番の若手によってフランベがなされます。

    未来輝く若者によって不老長寿の象徴である無花果にが点される………

    この”シンボリック”な手順(儀式)にこそ実は意味が込められていたのかもしれませんが、”某氏”もワタクシも、目の前のイチジクに心奪われて、それに気が付いたのはこうして後で書いている時だったりもする訳です。
    げにすさまじきは、この美食の心よ、という声がどこからか聞こえてきそうになりますが、我々は至って脳天気にイチジクを覆う炎に、”美食の輝き”を見出すのでした。

    「赤イチジク」「白イチジク」「トルコイチジク」の三つのイチジクに加えて「バニラアイス」に「バニラビーンズ」が添えられて、ここに【重陽】を祝うデセールの完成となったのです。

    これはまた、”手前勝手”な解釈になりますが、「コンポート」は砂糖で煮ることになりますが、それは砂糖を使って美味しくすると言うことに加えて、砂糖を使って保存する(時間を止める)と言う意味合いも含んでいるのであり、その事もあって「コンポート」と言う方法が採られたのかな?と思ったりもしているのでした。
    かつて”高名なノストラダムス”は、「ジャム」の大家として料理界に名前を残しています。
    ”占い”の大家であったノストラダムスは、当然「時間」と言う事についても関心が高かったはずで、その事が「ジャム」へと向かわせたのだろうと言う事は何となく想像が付くところでもありますが、【重陽】という事に合わせたデセールとしてこれほどドンピシャの寓意を持ったデセールもなかなか無いのではないか……と、改めてその着想と決断に”お見事!!”と思うのでありました。



プティフールとハーブティー (petits four et the a la menthe)




    目出度く【重陽】のメニューを頂いて、美味しく楽しくサロンカーへと移動する”某氏”とワタクシ
    【重陽】にちなんだどれも素晴らしい品々を食べて、美味しいだけではなくて、健康にも気を配られたモノを食べ、それこそ寿命が延びるかのような感覚を覚えたのでした。
    日本を代表する古典である「源氏物語」には、主人公である【光源氏】を見ると「寿命が延びる心地す」という件が出てきます。
    これは【光源氏】の何ものにも超越した存在としての特別な力を顕していると解され、”物語ゆえのプロット”とされるのですが、個人的にはあながち物語だけの話でもない様な気もしています。
    何故ならば、愉しい事をして、やりたい事をしていて「気持ちが良い状態」であれば、【光源氏】を見て「良い気持ち」になっているのと同様だと思われるからで、やはり何らかの意味で(波長で)プラスの意味を持つものは良い効果があるのではないかと思われるからです。
    ”某氏”のお話によれば、「知りあいの外資系の社長さんだった方は「美味しいモノを食べ、綺麗な女性と付き合い、良いモノを着る。未だ足るをしらず、突き進むのみ」と言うような事をおっしゃっていたようで、例えそれが比喩(That's Old 営業)だとしても【自分にとって良い波長のモノを追求する】と言う事が色々な意味で良い効果をもたらしている……という例もあるしね……と言う興味深い話をしてくれました。
    「それならば、我々は【美食の蝋燭】を灯さないといけませんね?」などとお返しをして、お互いに大笑いをしたのですが、【美食を追求したい向き】の人間達からすれば、”美味しいモノ”はそれ自体に寿命を延ばす力があるとさえ確信するのでありました。

    メニューの締めくくりは「パッションフルーツのブリュレ」と「ハーブティー」
    まさに【美食への情熱】と【薬効】という、この【重陽】を締めくくるに意味を持つ二品でもあったのでした。