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木場:2019年05月06日:アタゴール(A ta gueule)


    令和最初のフランス料理は、やはり何時もお世話になっている木場のアタゴールから食べ始めを画策。
    想えば、アタゴールではシェフの曾村氏を始め、メートルの市川氏他のスタッフの方を色々と煩わせた平成であったと深く思い致す事暫し………
    きつと令和も美味しいものを沢山頂けるのだろうと(身勝手な)想像をして迎えた令和最初の日々でもあった。
    何分、こちらも忙しかったが、あちらも未曽有の10連休中で予約が取り辛いのも承知の上だったが、何とか日柄を合わせて連休最終日に訪れる事が出来たのだった。
    今回は、久しぶりに昼間のオリエント急行を味わいたくて、ランチタイムに訪問。

    メニューの内容は

    スープ:サマートリュフのパリソワール仕立て(Creme de truffe d'ete en Paris-soir)

    前菜:プーレノワールとフォアグラのテリーヌ(Terrine de poulet noir avec foir gras duo et legume "Kamakura"

    メイン:ブッフブルギニヨン(Bouef Bourguignon)

    デセール:ザッハトルテとアイスクリーム、オリエント急行仕立て(Sachertorte a l'Orient-express avec glace a la pistahe)

    プチフルール&飲み物(Petit four et coffe ou the )

    と言う構成。

    (左)オリエント急行の仕様の位置皿(右)トリュフのパリソワール



    木場のレストランアタゴール(A ta guele)は、オリエント急行の唯一の日本人シェフである曾村譲司氏がオーナーシェフを務めるレストラン。
    曾村氏の経歴(ホテルオークラ→ベルギー大使公邸料理人→オリエント急行→アタゴール)もさることながら、氏の手になるヨーロッパの正統的なフランス料理をベースにした独創的な一皿が異彩を放つお店でもある。
    もちろん、今まで沢山の料理を頂いたのだが、ヨーロッパと言うフランス料理の原点をなす地での外交の場における経験や、ヨーロッパのまさに堂上貴顕が乗車する列車での経験は、誰も真似が出来ない事であろうし、それに裏打ちされた一皿には、ただ美味しいと言う事を超えて、ヨーロッパの根底にある考え方の体現でもあり、当に”オーセンティック(Authentic:正統派)”な料理の数々とも言える。

    「オリエント(Orient:太陽が昇るところ・東方)」には、単純にヨーロッパから見ての東と言う意味ではあるが、その実、”東方的な”と言う意味で「豪華」「豊かさ」そして、それらをもたらす「謎」と言う意味も内包している部分があると思う。
    「太陽の没せぬ国”欧羅巴”」とは19世紀末~1914年近辺までのベルエポック期を象徴する考え方でもあるが、”太陽”と言う私達に無限の富を与えてくれる存在を含意とするオリエントには、我々東洋の人間が考える以上の力強さや憧れがあるのだろう。

    単に綺麗だけではない、お洒落なだけではない、そして美味しいだけではない。
    深くて、静かに潜行する情熱を交えた「多重構造の欧羅巴」が、”ヨーロッパの料理”ひいては”フランス料理”のDNAではないかと思う。
    「謎解きはディナーの後」ではないが、一体この料理にどんな意味が含まれているのだろう?とか、この料理のどうして生まれたのであろう?とかを考えるのもフランス料理の楽しみの一つなのは、そう言った多重構造により成り立って来た、歴史的な経緯の産物でもある。
    もちろん、それは一重にフランス料理だけのモノでは無い。
    我々の日本料理もしかり、中華料理もしかり、トルコ料理、ロシア料理………等々、全ての料理は、その成り立ちと背景がある。
    それを一つでも感じて(探して)日々の料理を楽しむと言うのも大事な事であろう、と、改めて思った次第。


    さて、一品目は、「サマートリュフのパリソワール仕立て」

    冷えたトリュフのクリームスープに濃厚なコンソメのジュレの取り合わせの妙が冴えわたる一品。初夏の頃、これを食べると、あぁ夏かと思うと共に身体が無性に欲しくなるスープの一つでもある。
    パリソワール仕立て( Paris-Soir )は、フランスに元々あったものでは無く、日本人が産み出した料理の一つとされている。
    コンソメのジュレが溶けあう状態と、下のクリームスープとの重なり合う瞬間が、”夕暮れ”を表わす素晴らしい一品だと思っている。
    そして、このトリュフのクリームスープを巧く作るのがまた難しい。
    幾多ものトリュフスープはあるが、この曾村氏のトリュフスープを超えるスープはなかなかにお目にかかる事は難しい。
    まさに、アタゴールに来て味わうべき一品、スペシャリテ。
    今回のパリソワールには、キヌアと筍の甘皮が乗っており、易しい感触を味わいながらトリュフの溶けだす様とコンソメの混じり合う様を味わって来た。

    (左)(右)プーレノワールとフォアグラのテリーヌ 鎌倉野菜を添えて



    元々、”鶏”に関しては苦手意識があって、どうも味がしない白い物体を食べている様な気がして避けて来た傾向があった。
    もちろん、普通に鶏の唐揚げや、竜田揚げも食べるし、それこそ好き嫌いせずに食べる様にと言う家訓や、小学校の給食の時の影響もあり、出されたお料理としての「鶏」を残す事はしないのだけれども、しかし自分で料理を選択できる場合に”鶏”を選択する場合は皆無であり、フランス料理でも「鳩」や「鴨」で代わりが効くならばそちらの方を好んでいた。
    これは、日本のブライラー的な養鶏事情もあって仕方ないのかな?と思ったり、美味しい”鶏”を食べる努力をしていないかしらん?と言う事で、幾つか銘柄鶏なども試してみたが、そこまで感じ入る事もできず、長谷川町子の「サザエさんうちあけ話」に出て来た「水炊き」の話などが、現在の日本では求めるべき事が出来ないのか……と軽く絶望もしていた。
    そして、日本の”鶏”だからであって、フランスの”鶏”ならどうかしらん?と、かのブレスのナンバー付きの鶏も食べてみたが、イマイチ大味であって、やはり”鶏”は合わないなぁと思っていたりもした。
    ところが、つい先日、アタゴールで食べた”鶏”が非常に美味しくて、今までの蒙を払うかの様な「鶏」の経験をした。
    それが、このプーレノワール(黒い鶏)であった。
    良く「鶏」について書かれている「噛みしめる程に、鶏の繊維質な肉質から味わえる濃厚な旨さ」なるものを自分も感じる事が出来、漸く、自分も”鶏”の美味しさが分かる仲間入りが出来たのであった。
    そのプーレノワールのテリーヌであるから、これを食べない訳にはいかなかった。
    渦巻く鶏肉の中は葡萄の葉で包まれたフォアグラや鶏肉の部位で構成されるモザイクの世界………
    この料理が美味しかったのはもちろんの事なのだが、この飾りつけと言うか、意匠と言うかも興味深い。
    テリーヌの上に、これまた鎌倉野菜の「渦巻き状の断面」。古典的なお菓子で「カジノ(Casino)」と言う渦巻き状のお菓子があるが、思わずそれを思い出してしまった。
    特に、直接に「カジノ」との関係は無いと思うが、このグルグル巻きの渦巻きが、何とも不思議な空間への入り口になっているかの様な気がした。

    「非日常性」

    フランス料理を食べると言う事は、ある意味、通常の日常生活とは違う体験をする事でもあるだろう。
    何時もの食事とは違う空間で違う料理を食べる………
    その非日常性と言うか、現実から離れた異空間と言う事も大事な要素の一つではあると思う。
    この”渦巻き状の”プーレノワールと野菜の断面が、いざなう世界はどんな世界なのか……
    当然、人は様々なものを思うだろう。
    「美食の世界」。無芸大食の凡夫たるワタクシメのいざなわれたい世界は、その一択である。
    そんな馬鹿っ話に華が咲くのも、この「渦巻き」のもたらす非日常的な効果なのであったし、黒い鶏と土の味が強く感じられる野菜を口にしての「非日常性」は、かくも簡単に成就したのであった。

    (左)パン(中央)店内にはオリエント急行ゆかりの品の他、曾村氏の得意とするジビエの物もある(右)お口直しのグラニテ



    「非日常性」と言う事であれば、このアタゴールの店内はそのコンセプトそのものの具象化であろう。
    太陽の光が気持ちよく差し込むガラスの向こうには、日本版オリエント急行の車両が見える。
    列車が向こう側にあることで、自分達も列車に乗って食事をしている様な気分になるのは、このお店でしか味わえない”ご馳走”であろう。
    そして、オリエント急行ゆかりのポスターや掲示物も雰囲気を盛り上げてくれる。

    「豪華さ」と言うものには、一般人が届かない距離があると言う意味もあると思うが、それはその全容や内容が分からない「謎」を感じさせるミステリアスな部分があると言う事とも無縁ではないだろう。
    かつて、日本マクドナルドの藤田田が面白い事を語っていた。

    「あやしげなものはヒットする」

    「ハンバーガー」は、登場した当初、今の様な購買力平価の尺度を表わす鏡の様な位置づけではなく”高級品”であった。
    その高級品を売る戦略を立てる際に語ったのが、この藤田田の言葉である。
    ポイントは「あやしげ」であって「あやしい」ではない。
    「あやしい」は、完全に「黒い」。しかし、「あやしげ」は「黒いのかもしれない?」「実は白いのかもしれない?」「灰色???」などと色々な想像を掻きたてる。
    そう、「謎」があるから人は魅了されると考えたと、藤田田はその”一流の言語感覚”で表現をしたのだろう。

    もちろん、ファストフードとフランス料理は目的とするものが違う。
    であるから、フランス料理の場合には「あやしげ」ではなく、やはり「謎」(ミステリアス)と言う方がしっくりとくる。

    フランス料理の「謎」は、”美食の謎”でもあるし、それを生み出した”人間の謎”にも通じるのだろう。

    それを探求していくのも、またフランス料理の楽しみ方の一つではあるな、と、新しい令和の時代の幕開けに思った次第。
    それは、決して解答が出る様な代物でもないのだろうが、しかし、きっと面白いものであるに違いないと思う。
    そして、そんな”ちょっとした決意”が心に湧き上がった「令和」の旅立ちには、このアタゴールが相応しいと思ったのだった。

    と……思っているうちに運ばれて来た「フレッシュタイムのグラニテ」の中のシュークルペティアンが、口の中でパチパチと音を立ててメインディッシュの登場を告げてくれていた。

    (左)ブフブルギニオン(右)グラタンドフィノーワ



    「ブフブルギニオン 三色の人参と野蒜、蕗を添えて」
    「付け合わせの グラタンドフィノーワ」

    ブフブルギニオン(Bouef Bourguignon)は、牛肉をブルゴーニュワインで煮込んだもので、分かり易く言えば、ビーフシチューの様なものであるが、ビーフシチューは日本で生まれた”洋食”であって、正確にはブフブルギニオンとは異なる。
    作り方は店によって違うので、相対的なものでもあるが、どちらかと言うとビーフシチューが煮込んで柔らかくする系であり、ブフブルギニオンの方がそこまで煮込まないで肉の質感を味わうと言う違いと言えるだろう。、

    グラタンドフィーノワ(Gratin Dauphinoise)は、ジャガイモのグラタンで、洋食との相違はブフブルギニオンとビーフシチュー程は目立たないが、作り手によってサラサラ系か、小麦粉しっかり系かに分かれる。

    (左)Bouef Bourguignon(右)断面



    単に、ブフブルギニオンと言っても、ポットに入れてビーフシチュー様にする場合もあるし、今回のアタゴールの様な盛り付けで来る場合もある。
    これは、フランス料理における”盛り付けの美学”と言うか、その時に作られた料理への表現の仕方の一つだろう。
    ビストロ料理などの場合には、単純にお腹いっぱいに美味しいモノをと言う場合でもあるし、レストランの場合にはある種の思想があったりもする。
    どちらも、”料理を美味しく”と言う部分では共通であろうが、その上に何かを表わすと言う部分での違いが出てくるのが盛り付けの差異と言う事でもあるし”芸術”と言う事に繋がり得ると言う事でもあろう。

    無論、「芸術」と言うものは万人に分かる訳では無い。
    分からないけど、あの絵は好きだ、あの彫刻は嫌いだとか、主観的な判断で構わない訳である。(し、それを超えて客観化と言うのは、それこそ宇宙の謎を解き明かすのと同じく難しい気がする。)
    そして、料理を食べる側も、小難しいことは抜きにして、”美味しかったか””気に入ったか”が分かれば良いのである。

    さきに、「謎解き」などと言ったではないか?とも思われそうだが。

    料理は、作り手と食べ手の双方があって成立する「出来事」である。
    作り手がメッセージを込めた場合に、それを受け手である食べる側が汲み取れる場合もあるし、汲み取れない場合もある。
    その様な場合には、無理をして謎を解くとか、メッセージを解読する事に躍起になる必要はなく、その料理を楽しむ・味わうと言う事で良いと思う。
    「料理」は論理的なものではあるが、しかし、論理的な記号として機能する「言語」などとは機能を異にしている。
    それは、食べて栄養になる、肉体を涵養すると言う目的が第一義的にあるからであって、そこを超えた部分は、ある意味、おまけの部分ではある。
    だから、その「おまけ」の部分にメッセージがあり、それを解読できればなお楽しいという事だと思うのである。
    ”料理は芸術か?”と問われて、難しいのは、「食事」と言う根底をなす部分に芸術とは相いれない部分も兼ね備わっているからだろう。
    しかして、それにもかかわらず、料理や食事を、芸術性のある分野、ミステリアスな分野にまで踏み込ませた人間の所産と言うものに興味が湧くのである。

    それは、人類が栄養の確保と言う段階に、更なる段階を積み重ねる事が出来る(出来た)と言う幸せなステージに立っていると言う事でもあるのかもしれない。
    と、改めて、自分が幸せな時を生きていると再認識をするのである。

    ナイフを入れると弾ける牛肉の質感を楽しみつつ、牛肉の味と下にひかれているソースを楽しむ。
    「このソースもまた、人類の所産であるなぁ。このソースの考え方が出来るまで云百年……人間の熱意と努力は恐るべきものがある」
    蕗の味が良く滲み出たソースを味わいつつ、時折口に入るケッパーの刺激が、牛肉の違った一面を見せてくれる。
    赤ワインの良く馴染んだ肉に、蕗の独特の苦さが柱を立てると言うのは、また面白い趣向であった。
    口の中に際立った赤い旗が多勢を占め始めた時、もう一つの白い旗を持ったジャガイモの優しい援軍が登場する。
    「赤」と「白」のせめぎ合う中で、なお蕗が存在感を失わない。
    牛肉と赤ワイン、ジャガイモとベシャメルの際立つ両陣営の中で屈しない「蕗」の堂々たる存在が浮かび上がる……そんな素晴らしいソースの世界であった。

    (左)デセールのザッハトルテとアイスクリーム(右)ザッハ拡大図



    「ザッハトルテ(Sachertorte)」は、本来オーストリアのお菓子である。
    フランス料理にオーストリアのお菓子?と言うのは、一見整合性がなさそうであるが、(「美味しければ良い」と言う事に加えて)料理にはテーマ・趣旨に応じた射程の範囲と言うものがある。
    その射程範囲のものであれば、色々な取り合わせが出来るのも楽しみの一つだろう。
    オリエント急行は、ベルエポックの1883年に運行を開始し、花の都のパリからオスマントルコ帝国の首都であるコンスタンティノープルまでを走る事になったが、その運行区域には当然、中欧の覇者であるハプスブルク家の支配するオーストリア=ハンガリー帝国を通っていた。
    ウィーンの宮廷では、オーストリア料理が主体であったであろうが、しかしフランス料理が排除されていた訳ではない。
    そして、「太陽の沈まない欧羅巴」のベルエポック期の平和な時代に走り出したオリエント急行で、洋の東西を問わず、美味しいものは伝播していったであろう。

    ザッハトルテの深い甘さに、フランスの甘さとは異なる世界を感じるが、ザッハトルテの周りに配列された2種のアイスクリームとクレームシャンテがまた華を添える。

    そのままザッハを食べても良し、クリームシャンテで甘さを和らげても良い。
    ピスタチオの木の実の深いコクのする不思議な緑の色で更なる「深い甘さ」を探求しても良いし、オレンジの入った柑橘系のアイスクリームで太陽を感じても良いだろう。

    一見、焦げ茶色のザッハにお皿と言うモノトーンの色調ではあるが、周りの3色の刺激でカラフルな味わいが引き出されるところに、オリエント急行の様に多世界を走る列車の料理のエッセンスがあるのだろう。
    様々な多様性を包含する……「V.S.O.E」の砂糖化粧で浮かび上がる文字にはそんなメッセージも盛り込まれているのかもしれない。

    (左)食後のプティフール(中央)紅茶(右)オリエント急行を感じさせるパネル



    さて、ここまでの「旅」もそろそろフィナーレを迎える。
    デセールまで終わると、目の前のプラットホームを渡って向かい側の車両へと移動する。
    (オリエント急行では、食事が終わるとバーが付いている車両(サロンカー)に皆移動して、社交が始まるのである)
    食後のプティフールと、カフィウテ(cafe ou the)を味わう。プティフールに添えてあるのは曾村氏の石鹸を手彫りしたオブジェである。
    (この石鹸のオブジェは、特注でお持ち帰りも可能)
    「日本版オリエント急行」として日本を走った豪勢な車内で頂くプティフールと紅茶はまた格別なものがある。
    「食事」を通しての「非日常」の体験は、最後まで、「非日常」であった。

    パリのアンニュイな雰囲気を感じさせるトリュフのパリソワールから出発して、渦巻きのテリーヌ、パチパチと跳ねるシュークルペティアンを経てのブフブルギニオン。
    そして、最後のプティフールと紅茶

    令和最初のフランス料理の旅はこうして静かに終点に到着したのである。

    (左)店内のオリエント急行パネル(中央)アタゴールホームエントランス(右)降りたつルイ