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「すべて形がマチマチのクッキーを作る料理人」と職務経歴書に書いた人


    「すべて形がマチマチのクッキーを作る料理人」

    こんな”謙遜した”表現を職務経歴書に書き記した御仁がいる。
    かの有名な レオナルド=ダ=ヴィンチ である。
    存命中から”天才””万能の人”との名声を欲しいままにしたルネッサンス期の巨人である。
    そんな彼が、自らを売り込む推薦文に上の様な文言を乗せていたとは、驚天動地の有り様であるが、どうやらそれは事実らしい。
    (※ 詳しくはこちらのサイト ”「レオナルド・ダ・ヴィンチの料理手帳」:PuenteFuentes” をご覧ください。)

    哀しいかな、どんな偉人であれ、どんな才能あふれる人であれ、等しく食い扶持を稼ぐと言う生業はついて回るもの………
    この万能の天才も例外では無く、自らの拠って立つ活躍の場を求めて、ルネッサンス期のイタリアの君主たちに就職活動をします。
    この「すべて形がマチマチのクッキーを作る料理人」と言うのは、フィレンツェの僭主であるロレンツォ=メディチの所から、ミラノを治めていたルドヴィコ=スフォルツァ(イル=モーロ)の所に移る際に持って行った書面にある文言との事ですが、天才ゆえの冷静な物言いなのか?、皮肉めいた修辞的な表現なのか?、或いは、空気が読めない嫌味な表現なのか?、徒に馬齢を重ねてきた凡夫のワタクシには皆目見当もつきませんが、この時のレオナルドの状況を考えると、ロレンツォ=メディチにマジパンを用いてそれとなく提唱した軍備増強策の”模型”がそれと気付かれなかったと言うショックが頭(心)の中をずっと占めていた事だけは分かります。
    また、ロレンツォの所からスフォルツァの許に来た際にも同じようにマジパンとゼリーを使って軍備増強策を提唱するもスル―されると言う苦渋を味わう訳ですが、それは画期的な軍事技術に相応しい形での”新素材”としての「マジパン」に活路を見出したと言うよりは、単純にレオナルド=ダ=ヴィンチ自身が料理に興味を持っており、画家繋がりのボッティチェリ(「ビーナスの誕生」を描いた人)と食堂まで経営していたと言う話もあるそうなので、当時のダ=ヴィンチの中で自分の創意で自由に形を造れる”マジパン”がお気に入りの食材だったのでしょう。
    (そして、上記からも分かる様に、ダ=ヴィンチの「すべて形がマチマチのクッキー」と言うのは、単純な意味でのクッキー(biscotti)では無くて、マジパン(massepain)を指しているのでしょう)

    さて、このダ=ヴィンチ氏……スフォルツア家にお世話になっている時分にも興味は料理に向かっていたようで、良く有る世界史的な”画家””建築家”などとして働いていたと言うよりもメインの関心事は”料理”にあったように他なりません。
    ただ、上記のPuenteFuentesさんのサイトにあるダ=ヴィンチのメニューを見ても、およそ美食家?料理人?と言うにはちょっと違和感があるもので、どちらかと言えば、現代のエル・ブジ(El Bulli)の様な脳外科・理系の人が作る料理と言った方がしっくりとくるような気がします。
    ( 一枚のレタスの上に置かれた真ん中から縦に半分に切られた小きゅうりピクルス や タンポポの葉っぱにのった一本のかえるの足 などは当にエル・ブジ的な感性でしょう。もちろん時代はダ=ヴィンチの方が先ですからエル・ブジの方がインスパイアーされたのか………)
    この辺は、ダ=ヴィンチがスフォルツァ家の立場や財力を通して”自己の興味の赴くままに研究”をしていたと考える方が、より正確な気がしますが、料理に加えて、料理を合理化する機械の様なモノを発明して使ったのであるから、ある程度は満足はしていたと思います。
    (実際には、想定した通りの機能は発揮出来ずに却って仕事を増やすと言う、良く有る”お騒がせな発明家”の様なコミカライズな面を感じますが)

    もっとも、ダ=ヴィンチの料理は、マジパンばかりにこだわっていた訳ではなく、(当たり前であるが)普通の食事や料理も沢山書き記しているらしく

    ダ=ヴィンチの生まれ故郷のトスカーナ料理である玉葱料理の「カラバッシヲ」(イタリア人の原型をなすエトルリア人はニンニクと玉葱を料理のベースにしていた。またトスカーナ地方にネギ類が自生していた。)
    「トスカナ風ミネストローネ」(ダ=ヴィンチの時代には未だ、トマトはヨーロッパに到来していないのでトマト抜きのスープであろうとの事)
    「羊肉のロースト」(ワインと健康について語ったダ=ヴィンチの著作の中で、ワインが無ければ、羊の方が豚よりも美味しいなどと記している)

    などの料理は有名な所でもあるし、近時の最後の晩餐のクリーニングの過程で、「鰻」が描かれていたとの事から、海産物にも興味を示していた様ですが、実際に「鰻」の造形に興味を惹かれたのか?それとも味に興味を持ったのか?は気になる部分ですが、鰻の味だとしたらそれが「最後の晩餐」の宗教的な寓意とどの様に結びつくのか……非常に面白い話ではあります。

    さて……レオナルドがマジパンに何か特殊な事を見出したかはともかくも……
    ヨーロッパでマジパンについての著作を著したのは、かの有名な、フランスの”ノストラダムス(Nostradamus)”
    有名なと言っても、今から20年も昔の2000年になる頃、丁度、ミレニアムなどと言って世紀が変わる前後に「地球が滅びる」と言う予言をかつてしたとして、注目を浴びた人物です。
    フランスであれ、日本であれ、世紀末には何やらイベントが起きると言うのは、それこそ洋の東西を問わず的な感じもしますが、当のノストラダムス自体は良家の子弟として医者として勤務しており、先ほどのダ=ヴィンチとは異なって余り生活面での苦労は感じさせませんが、ペスト対策で現場で指揮を執るなどの事からその独特の思考は生まれたのかもしれません。
    ノストラダムスが、「予言」だけではなく、料理本でも一定の業績があると知ったのはフランス料理の事を調べ出して、辞書の中に「ノストラダムス⇒マジパンやジャムについても著作がある」と書かれていたのを見つけて初めて知ったある日の出来事だった訳ですが、マジパン⇒変化するもの(時が動く)、ジャム⇒変化しないもの(時が変わらない)、と言う具合に2つの次元を見出す事が出来る部分は、ノストラダムスの予言性とも関連を見出せそうです。
    ちなみに、ノストラダムスの書いた「化粧品とジャム論」(1555年刊行とされるが争いあり)、内容はペストへの処方箋から媚薬と言った幅広い内容を含み、当時としてはフランス以外ドイツでも刊行された”人気書”であった。まさか時を超えて、500年近くも後になってノストラダムスブームなどが起きるとは本人も夢だに思わなかっただろうが、偉人と言うか、能力のある人は何時でも思い出した様にリバイバルするので不思議と言えば不思議である。

    レオナルド=ダ=ヴィンチやノストラダムスが興味と関心を持ったマジパン。
    それこそ、今に在っては、お菓子作りの材料としてしか名前が出てくる事はないけれど、偉大な理系の人ふたりがルネッサンス期に時を前後して興味を持ったのは何等かの因果があるのかしらん?などと自分なぞは老化した足りない頭で想う訳だが、そう言えば、パティスィエやシェフも、素材を変化させて、かくも美味しい別なものに変化させてしまう訳だから、ダ=ヴィンチやノストラダムスの様に理系の人と言う要素を色濃く含んでいるなぁと思う次第。
    何時の時代であれ、”変化を伴う””変化させない”と言う能力を持つ人間は時空を超えて”偉大な人物”とされる訳で、ダ=ヴィンチが履歴書に「すべて形がマチマチのクッキーを作る」と言うのは、表面上は卑下している様に見えるけれども、内心は「すべて形がマチマチのクッキーを作れる」と言う自負があるのでは?と思ってしまう平成から令和にかけて元号が変わる時分の走り書きなのでした。