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タピオカ狂想曲


    ここ数年、と言っても昨年度(2017~2018年度)にかけてであろうか……やたらアチコチで人が並んでいるのを見かけるようになった。
    それが、”タピオカティー”の部類だと聞いて、何を今更?などとも思ったものだが、とにかく、若い人が茶色いウーロン茶とミルクを足した様な色合いのドリンクを持ち歩いているのを見て、珍しく流行りものが来たなと思って冷めた風で見ていた。
    なぜならば、今を時めく「ゴンチャ」と言うものが出てくるだいぶ前に、秋葉原のBobatea(ボバティー)なるもので十二分に台湾風のタピオカティーは楽しんでいたので、どちらかと言うと「何を今更?」という感覚ですらあった。
    秋葉原の今のMacの大きな店のある付近、丁度トレーダーズか何かがある所に在ったと思うが、当時としては一世を風靡したような気がする。
    このタピオカティー(当時はBobatea)を始めたのが、かつてのソフマップの創業者の方だったと言うのは、後になってから知った事だが、これはこれでビックリする出来事でもあった。
    その後、このBobatea(ブランドとしては Easy Way と言う名称だったか)がスタートアップ時の勢いは何処にか、いつの間にか無くなったなと、暫し存在も忘れつつ、秋葉原をたまに通る際に、あそこに台湾風の飲みものを出すお店があって懐かしいなぁ位の認識であった。
    それが、あちこちで異様な増殖ぶりで、それこそ赤羽駅で降りて、エスカレーターで下に行くと、Ecuteのところに何事かと言う列が出来ているのを見ると、「ゴンチャ」であった。

    ま、自分もかつては飲んだ口だから、今更「ゴンチャ」云々とは言わないものの、先日、とある若者がゴンチャの話をしていたので黙って聞いていると、「ゴンチャに若者以外が並ぶのはナンセンス」的な事を言っていたので、そんなに台湾風タピオカティーは若者を魅了してやまないものなのか?と何やら不思議な気がしたモノだった。
    そんな事もあり、台湾風タピオカティーを飲む気は起きなかったが、さりとて「タピオカ」には興味があったので、銀座に行く用事のついでに「タピオカのパンケーキ」を出している所があったので寄ってみることにした。

    タピオカパンケーキ



    銀座のガス通り近くにあるこのお店のアロハな感じに惹かれて行くと、結構店内は混んでいて、結構自分は浮いている様な感じもしたが、今更そんな事を気にしても仕方がないので、そのまま入り口近くのソファの様な感じのところに座り、「タピオカパンケーキ」を注文する事にした。
    どうやら、「ストロベリー」「マンゴー」「抹茶」「ミルクティー」の4つのパンケーキがあるのだが、いかした店長さんに聞くと(後に彼は「レオ」と名乗っていたなと思いだす)「タピオカの人気が沸騰して在庫が無くて、ミルクティーとマンゴーしか出来ない」という衝撃的な発言が飛び出したのだった。
    とりあえず、話の流れもあって、「ミルクティーのパンケーキ」を頼む事にしたのだが、どうやらこのミルクティーのパンケーキは黒いタピオカを使っていて、まるで”いわゆるタピオカミルクティー”を飲んでいるかのような味わいが楽しめるとの事だった。
    「軽く抹茶でも」と思っていた目論見はハズレ、”ゴンチャ”よろしくミルクティーのタピオカを食べることになったのだった。

    さて…肝心のお味は?と言えば【可も無く不可も無く】。強いて言えばもう少しパンケーキの生地をしっかり目にと言う感じではあったが、あくまで軽い食べ物(飲み物)の流れに位置付けるものとしては”全然イケる”というところで、それこそ「良く出来た商品」だろう。

    そんな銀座での一時を過ごして、暫くすると、ネットだか何かのニュースだかで「タピオカの品不足……」などと言う文字が踊っているのを見ることになった。
    ”件のイケてる”レオ店長の言う事が早々に裏付けられるたのだった。
    無論、物には流行り廃れがあるのは当たり前の事で、先ほどの若者が「ゴンチャは……」などと驕る平家的な発言をする位の絶頂を極めている事からも、品薄は当然でもあり、過熱のピークでもあるのだろうが、その手のニュースが出ると後は意外と凋落も早いのかしら??などと思ったりするのは、やはり若者をして「ゴンチャは……」と言われるだけのキラキラとした輝きを失った老体ゆえの予定調和的な発想であろうかと思ったりもする。

    こうして(何時ものように)長々と書き連ねてきたが、実はこの「タピオカ」はフランス料理の素材としては結構重要な材料であって、かのエスコフィエがスープを作る際に”繋ぎ”や”とろみ”を付けるのに用いるとしたレッキトシタ古典的な料理には欠かせないものなのである。
    そして、【perle du Japon】と言う別称を持つと言うのもまた興味深い事実でもある。
    あの独特の透明感と球体が”オリエンタル”ではなく”日本”と言う呼称に結び付けられたのは、驚きでもあるけれど、恐らく日本の真珠と同様にタピオカの珠は希少なモノで、いたく西洋人の興味を掻き立てたんだろうな?と思うと何やらおかしかったりもするのでした。

    豪華客船イルドフランス号の1939年1月23日のメニューには”consomme aux perles du Japon”と言うことで、タピオカを使ったコンソメスープが載っています。
    遙か異国の船の中での”du Japon”と名前の付いたコンソメは一体どんなものだったのでしょう……それこそ、若い人が熱狂してゴンチャに走る様に、当時の上流階級の紳士淑女の方も大いに興味を掻き立てられる一品だったに違いないと思うのです。