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高橋徳男の箴言(しんげん):シェフシリーズ「贅沢の応用」


    フランス料理のソースや技法は変化してきている。
    ”伝統”は変わるものであろうし、それも無いと進化もない。
    フランス料理のメニューの中には、古典的な方法で作ったのではイマイチ現代人には通じ辛いモノもあるだろう。
    とはいえ、フランス料理のソースはフランス料理自体にとって中核をなす哲学的な部分であろうし、 かの有名なロッシーニの故事を見てもフランス料理のソースは、それ自体で充分に美味しいもの(賞味すべきもの)であろう。
    (ロッシーニが自分のサロンでの夕食会にヒラメの料理を出す際にヒラメ本体は無くソースだけを客に出したと言う事例)

    しかるに、昨今ではフランス料理のソースはどちらかと言えば厄介者として軽視されている気配すら感じられる。

    「素材の持ち味を引き出すためにソースを軽く」と言う言葉は、今や枕詞の様にアチコチで見る決め科白である。

    もちろん、個人的には濃いソースが好きな性分もあり、この科白には非常に納得しない事がママあり、食べに行く際にはそんなセリフを使っている人の処には行くまいと 思ってさえいる訳だが、
    あるとき、持っている本を読んでいる時に、元アピシウスのシェフであった高橋徳男氏の文章を読んで大いに得心したものであった。

    「三十年前は、今よりも少ない材料で本当に濃厚なコンソメを作れたものだった。
    現在はどうだろう。より厳選された材料を使っても、出来上がった味は確実に落ちている。
    少しでも三十年前のそれに近づこうと、スネ骨や野菜の量を五割も増して加えるが、それでも納得がいかない。
    それほど、素材の質は低下しているのである。
    そこでその不足分を満たすために、オマール海老から取る出し汁を加えてみた。
    「窮すれば通ず」と人はよく言ったもので充分に自信の持てる一皿となった。」


    (中央公論社 シェフ・シリーズ18 「贅沢の応用」P25 昭和61年4月20日発行)

    これは、直接的にはコンソメの事ではあるが、合点がいった。
    素材が弱くなれば、それを補っていく。それが技術であり、腕でもあろう。
    1986年(昭和61年)の段階で高橋氏をしてそう言わしめるのであるから、そこから30年以上経っている2019年現在ではなおさら素材の味は落ちている。
    弱った素材に古いやり方のソースを合わせても、ソースが素材を打ち消す事になるのは自明の事。
    それゆえ、「素材に合わせてソースを軽く」と言うのは一見合理的であるとは思うけれども、
    日本にフランス料理が入って来た明治以来150有余年、先人達はいかに努力して日本の地にフランス料理の樹を植えて育てようとしたのか。
    ある者はフランスに密航し、ある者はフランス料理のメニューやソースを見ようと事件を起こし、ある者はソースを覚えようと鍋を掬おうとしたところ石鹸を入れられ……etc
    皆、フランス料理と分かち難い存在たるソースを何とかして自分のモノにするのかが使命ですらあった。
    その先人の想いや努力の結晶である「ソース」が、素材が弱くなったと言う事で、いとも簡単に「軽く」とされてしまうのは何とも偲び難い。
    フランス料理の近代化や革新は、人間の所産として歓迎すべき事であろう。
    だが、弱くなった素材に合わせて単純に軽くすると言うのは、進化ではなく退化であろう。
    弱くなった素材の味をどのようにして昔の素材の味に近づけていくのか。
    それが、伝統を受け継いでのフランス料理ではないだろうか?
    その事を、この高橋氏の言葉は示唆していると思うのである。


    (高橋徳男氏は間違いなく日本のフランス料理をリードした人物の一人だろう。
    贅沢の応用(扉)、オマール海老、高橋氏(いずれも「贅沢の応用」(中央公論社)から)





    古典的な料理に Veloute Cambaceres(ヴルーテ カンバセレス)と言う料理がある。
    ナポレオン法典を編集した元老院議長カンバセレスにちなんでつけられたもので、鳩のポタージュとザリガニのビスクを半分づつ混ぜて鳩とザリガニの身で作ったクネルを 浮かべたスープである。
    字面を見ているだけで、どれほど濃厚なものであるかを想像してしまうが、鳩とザリガニと言う、一見不調和な素材どうしを合わせる際にどちらの味も均等にするのか、 鳩とザリガニのどちらかを強調するのか、それともスープはこちら、クネルはそちらとするのか………いずれにしても軽くする思考だと、かえって両方の不調和が目立つであろう。
    素材の確かさがあった時代の一品であろうが、もし高橋氏が存命であったならどの様に手掛けるのだろうと思いながら筆を置きたい。