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美とアンチエイジングの資生堂パーラーのオムライスはAI時代のフランス料理の既視感


    白いシミ一つない黄金の滑らかなフェイスに切れ込みを入れると鶏肉と玉葱が絡んだ赤い質感の米が姿を現す。程よく舌に纏わりつく赤いソースと頬に広がる米の圧力を感じながらブイヨンの味を確かめる一品………オムライス。
    極めて単純な料理ではあるが、それゆえにゴマカシが利かない料理である。
    もちろん、”オムライス”で有名な洋食のお店は幾つもあるところだが、個人的には資生堂パーラーのオムライスがお気に入りである。
    なぜなら、非常にブレがないから。何時何処でも同じ品質のものが出てくる、そんな工業製品の様な不思議さが私を惹きつけるのである。
    普段はフランス料理党で、同じものが出てくるのは(むしろ)あり得ないのがフランス料理などと思う自分にしては矛盾する話でもあるのだが、この”ブレないオムライス”こそ今後のAI時代のフランス料理に繋がるデジャビュ(既視感)を感じるところに惹かれると言う事でもあろうか。

    先日、食べた際に店員さんとオムライスのお話をすると資生堂パーラーのオムライスの特徴をお話してくれた。
    曰く、資生堂パーラー本店でトマトベースのソースを作り、それに鶏肉や玉葱などぬ具を一緒に煮詰めて「タネ」を作る。この”タネ”を本店から各店へ運んで、いわゆるオムライスを作る際の元にするとの事。
    (この店員さんは、トマトソースの説明をしている際に、「最後にチーズを入れるんですがね」と言いつつ、生唾を飲むような仕草であったのだが、ご自身も元は厨房に居た方なのかしらん?と思ったりする様な料理への愛情を感じさせつ説明ですらありました。)

    このトマトベースを元にオムライスを作る訳だが、なるほど、味にかかわる主要な軸となる部分のソースの品質を均一化した上で、現場毎にオムレツの綺麗な焼き方、ご飯の炊き方、ご飯と”タネ(トマトソース)”の混ぜ方、オムレツでの米の包み方を一定のレベルにすれば、本店以外でも銀座と同様のオムライスが出来ると言う訳。
    「流石、資生堂。工業製品としての品質管理もさることながら、美やアンチエイジングを標榜する企業だけにオムライスにおいても美しく品質を劣化させない術を心得ていらっしゃる。」と嘆息してしまった。
    もちろん、これは付け焼刃で、只、工業生産の考え方を応用したものではないだろうが、3代目総料理長の高石鍈之助以来の味の基準と調理(作業)のノウハウを積み上げてきた事によるだろう。だから、当たり前の事だが、他の企業(店)がやろうとしても中々にそのレベルは達し辛いはずである。
    元来、料理とは均一な品質とは相反するところにある。
    そこには、料理は人間がやるもの、個性が出て違いがあるもの、と言う想いが根底にあるからである。
    そして、自分もそれを支持するし、それを放棄するつもりもないのだが(だからこその芸術性の獲得の契機と考える)
    この資生堂パーラー方式によれば、①ある一定の水準までの技術で出来るもので、②手順が少なく(複雑でなく)、③訓練度を上げれば、本店以外でも本店と同様のクオリティを持ったものを出す事は十分に可能だろう。
    無論、これは”オムライス”だから出来る(出来た)事なのかもしれないが、「高級品」として一定の水準を維持しているところに資生堂パーラーの面目躍如と言えるだろう。
    (外食産業では当然の「セントラルキッチン」と言えばそれまでではあるが、そうであれば、外食産業の品質はどうか?と言えば決して高いところでの均一化にはなっていないだろう。ここで思い出すのが、サイゼリヤ(7581)の事である。サイゼリヤは以前は資生堂パーラーと同じようなスタイルであったと聞く。 社長自らが調理場に立ち、大卒出の新入社員も研修の一環として各店舗でベテランの調理人の元で修業をしたそうである。その時の手造り感や味が原動力となってサイゼリヤの創業期の差別化に繋がったようであるが、サイゼリヤのその後の辿った途を考えると、客層の違いと言ってしまえばそれまでだが、それでも尚、資生堂のクオリティの維持は卓越している事になる。)

    さて、長々と書いてきたついでに、実はこの”資生堂パーラーのオムライス”に興味を持ったのは来たるべきAI時代のフランス料理に何やらデジャヴュを覚えたからである。
    IBMのAIワトソンがフランス料理のメニューを作った事が話題になったが(2014年12月)、我々一般人が考えるAIと料理と言う場面は、それこそ機械が資生堂パーラーのオムライスを作っているイメージである。
    これは、システムの問題云々と言うよりかは、機会が行う「調理」と言う作業がどれだけ人間の行う作業に近づくかと言う課題と表裏一体でもあるが、(超えるべき課題は多いが)ある程度の模倣が出来る様になれば、機械が新しいモノを生み出さなくても質的にはある程度の満足感を生む事に繋がって行く。
    そういう意味では、料理と言う領域においても、熟練した職人の作った品と、工業製品とも言うべき品との差が極めて相対的になる時代も来るかも知れないという意味で、このオムライスは過去から現在を繋ぐだけで無く、未来を拓く一つの象徴の様にさえ感じるのである。


    ((左)2011年資生堂パーラー銀座店で:(中央)2019年資生堂パーラー日本橋高島屋店で:(右)資生堂のシンボルマーク)