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令和に寄せて


    今日から、「平成」ではなく「令和」である。
    元号が変わると言う事は、単に表面上の記載が色々と変わると言うだけの事に止まらない。
    本質的には、上は治世の事から下は下々の生活に至るまで、この人間の住まう社会の枠組みが変化するという事をも意味する。

    思えば、「平成」の時代は色々なモノをよく食べたものである。それこそバブル期とバブル崩壊期との端境期でもあったため、色々な料理を食べる機会に恵まれた時代でもあったし、この時代に色々と経験が出来たことは、今、あれこれとフランス料理を食べる下地にもなったと言える。

    また、この「平成」の最大の痛恨事は、「辻静雄の死」であろう。
    私は、辻静雄氏の著作が好きで常に枕元に置いてそれを読んでから寝るのを常としていた。しかし、(誰しも、人生その様な事は良くある事だが)丁度自分の身辺が騒がしくなる時期があり、一時フランス料理や美食について考える事が出来ない時期があり、枕元の定位置を占めていた辻静雄の著作が違う書類だの本だのに代わっていた時分があった。
    暫しの間のエアポケットの際に、日本にフランス料理の輝きをもたらした人物は死んでいたのであった。

    自分は、料理人でもないし、業界の関係者でもないので、直接的に繋がりがあるわけではないが、しかし、その事実を知ってショックであった。
    何事も”IF”は禁物であるが、辻静雄が生きていたならば、フランス料理の世界はどの様になっているのだろうか?と考える事は良く有る。
    しかし、残念ながらそれは分からないし、そもそも辻静雄程の人物では無い自分ごときが考えても何も浮かばないと言うのが関の山であって、自分の様な無芸大食な輩は、ただ自分が好きなフランス料理を追求していけば良いのだと思っていたりもするのである。
    (奇しくも、2011年3月11日14時54分に、たまたまコーヒーを飲みながら仕事の準備をしていた際に、地震があり、傍にあった辻静雄氏の著作にコーヒーがかかってしまった。手許に置いて数十年の著作にコーヒーの染みが付くのはこれ以上は無いショックであったが、よくよく考えて見れば、あの地震で壊れたものも無かったし、都内の交通マヒに巻き込まれる事もなかった。勝手な信心ではあるが、コーヒーに汚れた氏の著作が、色々な不都合を引き受けてくれたのだろう。と勝手に思っている。)

    とにもかくにも30年、「平成」と言うのは過ぎ去って新しい「令和」が来る。
    新しい「令和」の時代に、フランス料理はどの様な時代を迎えるのであろうか。
    そもそも、「料理」とは「素材」を「理(分ける事)」であり、その本質的な意義としては、分類し区別する事であろう。
    本来、料理とは、人の心身をよろしくならしめ、明日への活力に繋げるところにある。
    そして、「レストラン(restaurant)」は、フランス語で”滋養のある””元気を回復させる”と言う意味が元々の本義である。
    (英語で言うレストア(restore)も、そういう意味ではレストランと変わらない)

    願わくば、謹んで令和の世が太平で、皆が活き活きとした世の中である事を祈念して

     令料理得和等万民  料理をして等しく万民に和を得さしむ