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浅草騎西屋の天然鰻


    今から四半世紀以上も前の事、仕事の仲間内で浅草に遊びに行く事が時々あった。名目は暑気払いであったり、栄養補給であったり、とにかく平成ではあったが”昭和の働き方”が色濃く残っていた時代だったので、内々集まってワイワイとやるのが常であった。 お目当ては、”鰻”や”すっぽん”であった。
    色々と鰻屋、すっぽん屋を探索した後、国際通り沿いのちょっと小洒落た感じの和食屋に目が留まり入ってみる事にした。名前を「騎西屋」と言う。
    丁度8月の末位であったろうか。我々は懲りずに”鰻”がお目当てであった。
    納涼の風体の店内の壁の張り紙にひと際達筆な文字で”天然うなぎ”と言う文字があるのが目に留まった。値段は”時価”とある。
    お仲間達は3000円位の鰻重の上(平成初期の価格)を注文していたが、私はどうしてもその天然鰻が気になったので、注文を取りに来た女将にいくらかと尋ねると、”10000円”と言う。 なるほど普通の鰻の3倍かと思いつつ、今までに食べた事のない天然鰻はなんぞや?と言う興味から逃れ難く、それを注文する事にした。
    この時、仲間内からはチャレンジャーだなと笑われたが、さりとてこの仲間達も食べものには煩い連中だったので、この時の私の行動に対しても面白可笑しくどんな”シロモノ”が出てくるのやらお手並み拝見と言う感じだった。

    さて、待つ事暫し……40~50分位経った頃であろうか。仲間達の鰻が運ばれてきて美味しそうな匂いが漂って来た。
    遅れる事、数分、女将が運んできたのは、普通の鰻重の箱の倍くらいの長さはあろうかと言う大きさの箱であった。
    一同、一瞬の動きが止まると共に、視線がその箱に注がれた。
    その箱を開けると、何とそこには仲間達の明るい飴色の鰻とは様相を異にする、木片の様な濃いこげ茶色と長さをしたモノが横たわっていた。 一同、その存在感に圧倒されていた。長さは2倍位、厚さは1.5倍位あったであろうか、今まで浅草で食した鰻達とは別物の鰻が目の前にはあった。
    恐る恐る箸を鰻に入れると、そもそも何時もの鰻の様に柔らかくちぎれるのでは無く、鮭か蟹の実をほぐすかの様な質感であった。
    そして、それを口に入れた瞬間、今までの鰻の味と違うその質感に驚愕した。
    普通の鰻はふわふわのトロトロと形容される様に甘くて柔らかい味であるが、自分が口にしたその鰻は、まさに”肉”の様な、もちろん肉とは言っても獣の肉ではないのだが、先ほど書いた様な鮭か蟹の弾力をもう少し強めた様な歯応えの中にしっかりとしたたんぱく質の旨味が広がっていった。
    そして、その硬質で分厚い肉を覆う皮。やや力を入れないと割けないその皮も全く従来の鰻とは違って、皮自体もトロンと溶けるのでは無く、しっかりと旨味を構成していた。
    「蛇だ」
    思わず、そう思わずにはいられなかった。
    蛇は流石に食べた経験が無かったが、何故か「蛇」や「マムシ」の肉を食べていると瞬時に頭の中に浮かんできた。
    そして、更に驚いたのが、一緒に出てきた”肝吸い”の「肝」である。普通の鰻に出てくる肝の3~5倍位の大きさであったろうか。柔らかくクニュッとした管の感触では無く、もっとゴリッとした管で、肝も苦い中に爽やかさがあった。
    この天然鰻は、本当に今までで初めて食べたモノであって、そんな味も質感の記憶も未だかって自分の中には無い初めての体験であった。
    興味を持って見ている仲間達にも、少しづつ味わって貰い、その賛否両論を聞きつつ、あえてこの時に思い切って天然鰻を頼んでみて良かったと思っていた。
    世の中にこんな存在感のあるモノがあるとは………それは当に天地開闢以来の驚愕に匹敵する出来事だったのである。

    普通の鰻はもちろん美味しい。それは人間が叡智を絞って創り上げてきた一つの作品である。
    しかし、この時、騎西屋で食べた天然鰻の味は人間の小賢しさを一蹴する圧倒的な存在であった。
    単純に美味しいと言うのとは違ったもっと奥深いモノを感じたある日。それは未だお金を払えばそんな貴重な体験が出来た時代でもあった。
    食べ物の神様がいるのだとしたら、この天然鰻との出会いに導いてくれた事に感謝する他は無い。
    食べものとの出会いは、当に”僥倖”であろう。その究極の出会いの中に私は”一期一会”を感じるのである。

    これは、天然鰻の話ではあるが、しかしフランス料理との出会いも然り。
    料理人の方、その方が丹精込めて作ってくれた料理の数々、そして食材。それら様々な巡り合わせがあって、今日も美食を堪能しています。
    改めて、感謝の念を込めて。

    後日、私の食べた天然鰻に興味を持った仲間の一人と騎西屋に再訪した。その時は、私が食べた時のサイズは無いと言われ、前回よりも幾分小ぶりの天然鰻を食べた。
    友人も、その初めての体験に舌鼓を打ち、衝撃を体験して満足して浅草を後にした。
    思えば、そんな食べ物を一緒に食べてくれる友人や仲間がいたと言うのも、今考えれば”僥倖”の一つであっただろう。
    その後、何度か浅草に行き、騎西屋の前を通る事はあったが店に入る事はなかった。折々、入った際に天然鰻はあるか?と聞いたら入っていないとの事で、その時は普通の会席か何かを食べたが記憶には残っていない。
    仕事や何やで暫し浅草に足が遠のいたが、風の便りで騎西屋が店を閉じた事を聞いた。
    結構な老舗ではあったと思うが、不景気の続く折、これも時代の流れであったのであろう。
    しかし、自分の中で、あの騎西屋の天然うなぎを超える天然鰻には出会えていない。
    これも大きな流れの一コマなのかもしれないが、また何処かであの見事な天然うなぎに会える事を夢見て。

    (左)浅草感応稲荷の石垣に残る騎西屋の石 (右)浅草感応稲荷正面





    「騎西屋」は、かなり昔から続いていたお店ではあったらしい。かつて山田五十鈴(山田いすゞ)が贔屓にしていた様で、山田五十鈴の「騎西屋で待ってて」と言う謡があったように記憶している。 また、浅草に所縁が深い池波正太郎も通っていたと言う事、浅草が賑やかな頃のランドマークでもあったのだろう。
    上記の石垣の石の大きさからして(この浅草感応稲荷神社の石垣には、他に浅草今半や有力なお店の名前も見られる)地元での立場が良く分かる。
    (他に、騎西屋に関する資料的なものとして早稲田大学所蔵の騎西屋に於ける出征前の寄せ書きが存在している。)