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日本のオーベルジュ繁栄の条件

    2020年のオリンピックを前に観光業界は非常に期待する向きは多いと思います。
    それは、裏返せば工業国から進化して、日本が有する文化的な資産を元にしたサービス産業が機能すると言う新しい局面を迎えたと言うべきところでもあるでしょう。
    そして、このまたとない機会に、ある意味フランス料理先進国でもある日本のフランス料理が十二分に世界の人々に味わって(知って)貰える機会となれば幸いと思うところ。
    その様なシチュエーションを考えたときに、先ず思いつくのがホテルではあるでしょうが、フランス料理好きのワタクシとしてはもう一つの選択肢としての”オーベルジュ(Auberge)”も挙げておきたい。
    そもそもオーベルジュって何?と言う事になりますが………

    「オーベルジュ」とはフランス料理を食べさせるレストラン付きの宿泊施設と考えれば分かり易いでしょう。
    もっと簡潔に言えば、”フランス料理レストラン+ホテル”と言う事に。
    そうなると、ホテルとの区別はあるのですか?となりますが
    厳密に言えば、通常のホテルで有る様な、日本料理や中華料理と言ったフランス料理以外の料理屋が無いと言う以外には、その区別は余り無く、強いて言えば”規模”と言う程度のものとなります。
    ですので、事実上オーベルジュとホテルは殆ど同じ。と思って差し支えは無いでしょう。
    とは言え……本家のフランスではポピュラーなオーベルジュも、日本では余りメジャーな存在ではありません。
    これは、色々と理由もあるでしょうが、日本では鉄道網が発達しており、フランスの様に車で移動する事が中心であった旅行形態(移動形態)とは異なると言う部分が大きいでしょう。
    (そもそもフランスでガイド本のミシュランが発達したのも、これが大きな理由であるし、本家のフランスのミシュランは「ミシュラングリーンガイド」と言うものを1926年から発刊して宿屋+食事の評価もしており、赤ミシュランが際立つ日本とは違っています。(日本でも「緑のミシュラン」は最近刊行されていますが、まだまだ認識は薄い))

    さて?そんな日本のオーベルジュではありますが、その草分けは、箱根にある”オーベルジュ オー・ミラド―(Auberge au mirador)”
    これは、バブル時代に一世を風靡してフランス料理界をリードする勝又登氏が1986年に立ち上げたオーベルジュで、「オーミラドー」を皮切りに「パビリオンミラドー」「コロニアルミラドー」と規模を拡大して今に至っています。
    (勝又氏の事は、このHPの「」でも触れています。)
    勝又氏が、オー・ミラドーを立ち上げる前の帰艦店であるビストロ・ド・ラ・シテを創った際に、フランスで修業して日本に帰って来て、とあるフランス料理店に食べに入ったが、そこに自分がフランスで感じたフランスを感じる事が出来なかった。だから、本当のフランスを味わえる・感じられる店を創りたかった。とあります。
    この想いが進化すると共に、日本の食材で本場のフランス料理に伍していく”日本のフランス料理”を作って行くには、食材に近い場所でやった方が良いと言う判断であったのだろうと推察される。
    その甲斐あって、オーベルジュ オー・ミラドーは日本のフランス料理史に残るものになったであろうし、今、将に”新しい観光国日本”として舵を切ろうとする我が国において模範となるべきケースであると考えるのである。

    < オーベルジュの繁栄する条件 >

    と言う事で、少々愚見としてのオーベルジュが繁栄する条件をざっくりと考えていきたい。

    オーベルジュがホテルであれ、フランス料理店であれ、結局は人に来て貰わないと始まらないのは世の常であるから、そのお店が「時間」と「移動の労力」+「お金」をかけて来て貰えるだけの価値を持っているのか?と言う事が重要になるだろう。

    シンプルに考えるならば、やはり”食事が美味しいかどうか?”と言う点が重要視されるだろう
    そして、その中でも

    ①:非常に満足の行く食事が有るかどうか

    当たり前の事だが、わざわざ遠くにまで出かけて、食事が満足できないと言う事は、そもそも店としての存在価値が没却される。
    しかし、「満足の行く食事」と言っても、それは非常に幅の広いものを含むが、絞り込んで考えれば、そのお店(場所)でしか食べられない料理と言う事になるだろう。
    それは地場の特産品・名産品と言う要素も含むし、近年話題になってきている”ジビエ(狩猟獣)”の様な難しい食材を使った食事と言う事にもなるだろう。


    ②:料理人が実力を有する人間か

    これは、語弊のある書き方でもあるが、「美味しい料理」を作れると言う事は、シェフや料理人が実力(技術と経験)を有する人間であると言う事と重なり合う事になる。
    そして、実力あるシェフはスペシャリティ(speialite)と言って、そのシェフだけのオリジナル料理を(幾つも)持っている。
    これは、ある意味、そのシェフを象徴する料理とでも言うべきで、特にオーベルジュ云々と言うよりは、フランス料理の根底に流れる話にはなるが、本場のフランスであってもレストランピラミッドでは「オマールエビのサラダ」「フォアグラのブリオッシュ詰め」「マルジョレーヌ」、ポールボキューズでは「V.G.E」「スズキのショロンソース」.etc、 と、お店と料理、あるいはシェフと料理とは切り離せないものであるから、このスペシャリティが在ると言う事は、それだけで一つの資産を有していると考えられる事になる。
    また、結果論にはなるが、シェフが実力がある、スペシャリティがあると言う事は結果としてシェフの名望・名声に繋がる事にもなり、それも一つの集客上の資産になってくる。

    ③:料理を味わうのに素晴らしい環境かどうか

    これは、フランス料理に限らず、どのジャンルの料理にも関わる事ではあるが、やはり”わざわざ出かける”と言う所作が加わるために、ハードルとして出てくる部分だろう。
    フランス料理を食べるのに、ルイ王朝スタイルの豪奢な部屋や設えに囲まれて銀食器でギャルソンに恭しく給仕をされたいと言う向きもあるだろうし、或いは、中世の教会の様な荘厳な中で食べてみたいとか、二条城の二の丸御殿の様な金屏風に松を背景に食べてみたいとか、大槻玄沢の様な南蛮正月風に椅子とテーブルでハイカラな舶来物として食べてみたいとか、果ては鄙びた藁葺き屋根の民家でジビエを堪能したいとか…….etc、それはそれで際限が尽きないであろう。
    +料理を食べ終わってその余韻を味わうのに相応しい環境か(即ち、宿泊施設がどうか)
    料理は美味しかったが、その後の宿泊施設が残念では、それこそ料理の余韻を含めて台無しになってしまい、逆に店自体の評価も下げてしまう事になりかねない。
    この点、ホテルは食事はダメでも、「やっぱりホテルだからね」と宿泊と料理を切り離して考える事が可能なので、得だと言えば得な立場ではある。

    ④:周囲の環境

    オーベルジュ自体の宿泊環境云々に加えて、周りの環境も影響するだろう。
    オーベルジュの場合には、元々料理を味わいに行くと言う事がメインイベントであるから、ホテルのように宿泊に付随して他の用事やイベントの順位は高くはない。
    しかし、そこは人間であるから、行きがけにあるいは帰りがけに何か見れる寄れる所があれば嬉しいのは人情でもあろう。
    逆に、徹底的に辺鄙な場所にと言った場合には、利便性その他は排除される事になるので、本当に「料理」と「料理人」だけで場所的なマイナス面を補って余りあるものにしなければならなくなる。

    と非常にザッケなく条件を並べてみた。

    ここで、オーベルジュ オー・ミラドーについてざっと観てみよう。

    ①:勝又氏が箱根に拠点を移したのは、箱根の食材に注目してとの事であるし、ただ、その事に安住する訳では無く、「天城軍鶏」等はミラドーで使われる事で逆に知名度を上げたと言う意味で、今の地産地消の先鞭をつけたであろうし、それこそ本家フランスの言う”テロワール(terroir)”として郷土の名産品を巧く使うと言うを体現しているだろう。
    (東京では安易にテロワールと言う言葉をスターシェフなどと呼ばれる人も使って喝采を浴びている様だが、単に地方の珍しい食材を使えば”テロワール”となると言う事でも無いだろう)

    ②:勝又氏は間違いなくフランス料理界の実力者であり先駆者であろう。
    (余談ではあるが、御年73歳(2019年現在)で未だに調理場に立っていると言うのは素晴らしい事である。)
    ただ、勝又氏は先の”スペシャリティ”に関しては、ご自身では「特に持たない」とされている。
    これについては、氏にお目にかかった際に直接お伺いした事があるが、

    「お客様に料理をお出しして、料理が美味しいのはもちろん、その上で感動と言うものがなければいけないと考えている。一度来て下さったお客様が二度目にお見えになった時に、前と同じ料理をお出しして美味しいと思って頂いたとしても やはり新鮮な感動は薄れてしまうと思う。だから自分は、あえてスペシャリティと言う固定したものは作らないで、常に新しい料理をお出ししようと思っている。」

    と言う事をお話してくださいました。
    その哲学に”流石だな”と思うと共に、彼の常に挑み続けると言う姿勢に感服したであるし、それ位の哲学と気概を持たなければ、老舗旅館やホテルの鎮座する箱根でオーベルジュは30年以上の長きに亘って保ち得ないだろうとも納得をした次第。
    そして、当たり前の事ではあるが、勝又氏の存在自体が集客に繋がる資産であると言う事。

    ③:料理を味わう環境としては、”中庸”ではあろうか。
    これは、上述した様に非常に好みの問題に左右されるとは思う。
    無論、料理よりも環境をオーベルジュに求めると言う人もいるだろうから、ミラドーに泊らずに周囲の施設に泊って来訪すると言う方もいるだろう。
    ただ、TVやネットが無いと言う事の”デジタルとの乖離”については、このご時世にあっては相当に好き嫌いに影響を及ぼす恐れはあるだろう。

    ④:周囲の環境としては「箱根」として培ってきた色々があるだろう。
    箱根自体の観光地としての要素があるので、ミラドーの帰りにどこかに寄って帰る、或いは、どこかで遊んでミラドーに行くと言う事は十分に出来る場所だろう。

    そういうわけで、オー・ミラドーは上記のオーベルジュ繁栄の条件をほぼ充たしていると言う事ができるだろう。
    しかし、なかなかに他店では難しいなと思わせるのは、やはり①の料理と②の料理人との相乗効果と言う部分だろう。
    オー・ミラドーに関しては、勝又氏と言うフランス料理の巨人の存在が否が応でも訪れてみたい・食べてみたいと言う動機を引き起こす。
    これは、良く悪くも有名シェフと言う事が大きな要素を占める事にもなる。
    日本人の性と言ってしまえばそれまでではあるが、かつて辻静雄がフランス料理の食べ歩き修業を始めた時にブルターニュに行った際(この時、その店に泊った訳ではないが)に、鄙びたレストランに入って愛想のない老人のシェフが作ったオマールエビにバターを落としただけの様な料理と蕎麦のクレープを食べて、夫妻共々驚嘆の声を上げると共に、”目の玉の飛び出るような金額を払った”などと言う事はなかなか日本では起こらないだろう。 良く言えば、大人しいとも言えるが、悪く言えば、そこまで料理(や料理人)に執着する人は日本では少ないかと思われる。
    別に、フランスが良いなどと言う気は毛頭無いが、ある意味そういう風にフランス料理に執着する人間が出ないとオーベルジュ文化はなかなか大きな樹にはなり辛いだろう。
    結局は、オーベルジュ文化が根付くか否かは、料理人の姿勢とそして食べ手の姿勢の更なる掘り起しと広がりと言う事に尽きてくる。

    昨今、ちょっとしたブームになりかけている”ジビエ”
    このジビエをスペシャリティとするオーベルジュの料理人が大手資本と組んで監修をした事があった。一時期、”ジビエ○○”などと、その大手資本が関係するところで良く目についたものだった。
    ”期待”と”興味”を持って、その「ジビエ○○」を食べてみたが、そのクオリティに残念を通り越して憤りにまで突入してしまった。
    (初めから想像がつく)それを食べてがっかりする我が身の修練の浅さと言えばそれまでだが、その料理人も監修を通して、自分自身を商品にする事がオーベルジュ経営の安定に繋がるとの判断だったのであろうか?
    大手資本によって名前が出れば、ジビエを良く知らずとも「有名人」と言う事で客足が増加する事はあるだろう。しかし、短期的に名前が売れる事が経営にプラスになる事が一時的にはあっても、 逆に本当にジビエが好きな人は、その「ジビエ○○」を食べて、その人本来の料理では無いものの、自分が作る料理のクオリティに及ばないものを監修とは言え引き受ける軽薄さにガッカリする事に気が付かなかったであろうか。 ましてや、その「ジビエ○○」が美味しければともかくも、ジビエと言う事で付加価値を付けられたであろう値段の高い「ジビエ○○」を一般人が興味を持って食べてくれたとしても、恐らく、何がジビエなのか普通の食材との違いさえ分からなかったのではないかと思うし、単にジビエが高くて不味いモノと曲解されたのではないかとさえ思ってしまうのである。
    ”勝負の時”と思ったのであろう。これは、当然有り得べき事であるし、心情も大いに察せられる。
    自分のスペシャリティが幾つもあって、シェフとしての地位が揺ぎ無いものであれば、”多少の間違い?”で済んだ事かもしれないが、中堅クラスであったそのシェフからすれば相当に後始末は大変だったのではないだろうか?

    「地方創生」としての側面も持つオーベルジュではあるが、純然と地方にただオーベルジュを作っても(成功するまで耐えられる資本と時間を持たなければ)なかなか難しい。
    東京や大阪と言った舌の肥えた御仁にどうやったら興味を持って貰えるのか?(+これからは世界の人)と言う事を考えた時に、やはり地道な努力として、料理人としての実力を蓄積しつつ、自己のスペシャリティを積み重ねていって成功の端緒は開かれるのであろう。
    逆に、世界の人から注目を集めるような料理(+料理人)が地方から登場するのであれば、あっと言う間にオーベルジュ業界を席巻していく事になるのだろう。


    (左)オー・ミラドーのウエイティングスペース (中)デセールの金箔が美しい (右)フォアグラのアミューズ





    勝又氏がオーベルジュで成功した理由として、本人が常に先駆的な取り組みをした事に加えて、(イベント時の例外を除いて)箱根に常駐していると言う事は大きな要素であったであろう。
    これは、オーベルジュ ミラドーの建て方を見た時に、オーベルジュ→パビオン→コロニアルと言う具合に同じ敷地内で拡大していく方針であって、常に自分自身の目が行き届く様にと言う事でもある。
    有名人にありがちな彼方此方に支店を作ると言うやり方だと、商業的な意味での売り上げ増には繋がるかもしれないが、肝心の料理に関して、自分自身が作るのと同じ水準の料理を提供すると言う事は難しくなるからである。

    「常に質を維持・向上する」

    当たり前の事ではあるが、それが出来るからこその成功であるし、氏自身が語っている「常に新しい感動を」と言う事の現実的な具体化でもあろう。

    パビオンミラドー 瀟洒な洋館を思わせる外観