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秋山徳蔵の箴言 其の壱:Le Guide Culinaire(柴田書店版巻頭)


    今月は、【御大礼】を迎える。
    御大礼における食事が平成以降に変化して、今回の令和の大礼においてどの様な形になるのかはつまびらかでは無いが、従来の様な形での座っての正餐ということはない雰囲気ではある。
    とは言え、宮中におけるフランス料理の導入が我が国のフランス料理をリードしたのは間違いがなく、そのことに多大なる影響を与えた「秋山徳蔵」の功績は計り知る事が出来ない。

    先日、たまたまエスコフィエの【Le Guide Culinaire】を見ていたら、巻頭の辞として秋山徳蔵の言葉が推薦文として寄せられていた。

    原書はごく限られた人々にのみ読むことの可能な、閉ざされた門であった。しかし、今般日本の調理師向けにその完訳が柴田書店から「エスコフィエ・フランス料理」として出版されたことにより、読む意思のある人すべてに、エスコフィエの門が開かれたのである。
    (柴田書店 Le Guide Culinaire P4 より)

    誠にもって素晴らしい至言が書かれている。
    今の様にネットで何でも調べられて”一応の結果”が出てくるご時世においては、文字ベース・紙媒体の重要性の認識は低下していくばかりであるが、しかし、実は結構大事な事としては、ネットで調べても肝心の事が出てこない事は沢山あるという事である。
    検索技術の進歩はそれこそ日進月歩ではあるだろうが、検索精度が向上するがゆえに、単純に検索をしても同じような事ばかりが検索結果に上がってくることになる場合もあり、何気に一つのことばかりを堂々巡り的に調べるという、ある意味、どうやったら目的の事項に辿りつけるの?ということを沢山経験することがある。
    検索アルゴリズムが何を重視するかで検索結果が変わるのがネット検索の素晴らしい所でもあるが、イマイチ多面的な検索には向いていないジャンルも多かったりもする。
    個人的には、このフランス料理的なモノを検索する際にそれを実感するのだが、それでも上記で秋山徳蔵が述べている様な、調べるよすがすら無い様な暗中模索の状態ではない分、検索アルゴリズムに感謝をしないといけない。

    とはいえ……やはり専門的な事はネットで検索をしても限界があるのは現時点では止むを得ず、その様な場合にはやっぱり「本」と言う紙ベース・文字ベースの力を借りる必要が出てくるのである。
    例えば、このエスコフィエの不朽の名著である【Le Guide Culinaire】の中味をネットで探すとなると、なかなか出てくる事はないだろう。
    もし、出てきたとしても途切れ途切れ、断片断片な形で、それこそどこがどう繫がってと言う事が滅茶苦茶な感じになるので、かえって調べる労作が増える事になる。
    それを解消するためには、一つの意思や意図で貫かれた上で整理されたモノがネット上にオープンしていなければ難しい事になる。
    要するに、今のネットの検索アルゴリズムでは、「本」の様にある目的をもって、それに対して編集をされた形での検索結果を探すのは難しいということなのである。



    (左)柴田書店版 Le Guide Culinaire 1979年12月1日版




    時代が進んでも、まだ専門的・体系的な事を調べるのに「本」に頼るのか……と言うのは、いぜれ技術が解決してくれる事になるかもしれないが、一番の問題点は、何かを探す際に、単純に事項を探したいだけの場合を超えて、色々な繋がりを想起したり、その行間から見えてくる事であったりを何処まで想像できるのか?と言う事でもあろう。
    それこそ、コールタールの暗闇の様な中を進むのには”強固な意志”が必要になる。
    その意思を持ち続けて、あるモノに到達した時、そのことが強烈なインパクトとして残るだろう。
    しかし、ボタン一つで出て来るネットの海では、その様な意志が必要ではなくなる。
    そうなると、どうしても検索して出て来た結果に対して、軽い認識しか持たないで次へと進んで行く様な事に繋がってしまう。

    ”便利か””便利で無いか”というのは重要な問題ではあるのだけれども、【出て来た結果】というものに対しての重さはどうしても「意思の軽重」ということに左右されてしまう……と思う自分にとっては、この【宮内省司厨長 秋山徳蔵】の言葉は箴言であるとさえ思うのである。

    (時代が経てば、いずれ【エスコフィエ】の様な”辞書”もネットを通して全てが引ける時代がくるだろう。しかし、目でただ見たことがどの程度頭に残るのか……?は甚だ疑問である。「読む」「書く」「喋る」「聞く」の4つが噛み合って機能する人間の構造を考えると、やっぱり只見ただけの情報では何が残るのだろう……と思うと、心許なくなるのである。【It's OLD営業】ではないが、料理は頭だけでするものでは無い筈なので、なおさら肉体的な機能を使う・五感を使うという部分があった方が素晴らしい料理が出来るのでは???と、古の偉人(秋山徳蔵他)の事を遡るになおのことその想いを強くするのである。)