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Menu 令和(実際のお料理)@ A ta guele

    2019年05月の某日、新帝即位と新元号改元で賑わう中、この歴史的イベントを祝する意味での考えたメニューの構想を基にして、わたくしルイの為に、A ta guele の曾村シェフが実際にお料理を創って下さいました。

オホーツク縞海老のカクテルと自家製キャビアをガスパチョ風味に:Cocktail de Crevette avec Gaspaccio et Caviar a la maison



    最初のアミューズとして、「オホーツク縞海老のカクテルと自家製キャビアをガスパチョ風味に」が出てきました。
    赤い、しかしシックな重厚な色調の赤と、真ん中に浮かんでいるアボガドのムースが視覚的にも立体感を与えてくれています。
    アボガドは胡瓜で巻かれていて、上にはキャビアとナスタチウムが華を添えています。
    一匙掬うと、バスク風のピメントの刺激がアボガトとトマトの甘さを際立たせて、舌の上を爽やかな風が駆け抜けていきました。
    その上に重なる自家製キャビアの甘い攻撃……
    この刺激的な一迅の風が、これから出される”令和 メニュー”への期待感を否が応でも高めてくれて、露払いとしてのアミューズの役割をしっかりと果たしてくれています。
    本来、アミューズは入り口に当たる部分ですが、この縞海老のカクテルは、アミューズなどではなく、十分な一品として出されても良いもので、その存在が”令和 メニュー”が如何に練られたものになるのかを物語ってくれています。

ウズラの冷製ベルビュ風:Chaud-froid de Caille en Belle-vue



    二品目、前菜の一皿目は「ウズラの冷製ベルビュ風」がやってきました。
    ”ベルビュ(Bellvue,Belle-vue)”は、魚、鶏、甲殻類の身の表面をゼリーで覆ってツヤを出す料理で、ポンパドール婦人(Pompadour)に与えられたベルビューパレスに由来があるとされています(「村上信夫の料理ノート」P108)。

    なぜ、大正と昭和の饗宴の儀を取り仕切った秋山徳蔵氏が「ウズラのベルビュ」を盛り込んだのか……恐らく、ショーフロワ仕立てと言う事で非常に見た目が華やかな料理であり、前菜に出される際に人々を華やかな気持ちにさせる意味があったのではないかな、と思うところです。

    国家的な威信と表裏をなす饗宴の儀の組み立てに秋山氏がどれほど心を砕いたのかは想像に余りあるものがありますが、”料理を以て国を高める”と言う崇高な志が選びぬいた料理の一つですから、式典の場にも耐えうる一品であった事は間違いがありません。
    その「大正期の饗宴の儀」と「昭和期の饗宴の儀」の両方に登場した「うずら」が、新しい「令和」の時代にも登場です。

あれ~? ウズラも見えないし、ゼリー状のキラキラも見えないよ!? 目の前には、綺麗な湖に葉っぱにくるまれた丸いものが……
ウズラさん♪ 鶉さん出ておいで~♪


    葉っぱにくるまれているものは何でしょう???
    エイっとばかりにナイフを入れてみます……おおっ、思ったよりスムーズにナイフが入る……
    葉っぱの中からは、艶めかしい薄っすらピンク色の「ウズラ」が出て来たのでした。




    透明なガラスの湖の下には、コンソメの冷たいジュレと、トマトソースが入っていました。周りを覆う緑のソースはサンジェルマンソース。そして周りにはレンズ豆、2種のオゼイユが散してあります。
    ショーフロワソースにするのは、見た目が綺麗な事もありますが、ソースが素材にしっかりと馴染むという事も意図しての事だったでしょう。
    そう言う意味で、ベルビュ風は、ただポンパドール婦人に由来すると言うだけではなく、しっかりと「美味しい料理」と言う本質的な部分をも兼ね備えたものなのです。

    が………?

    この「ウズラのベルビュ(ショーフロワ)」は、コンソメのジュレに沈める事で、しっかりとウズラにコンソメの美味しさが染みわたると共に、ウズラ自体もシットリとして食べ易くなっています。
    しっかりと馴染んだウズラに、トマトとサンジェルマン(グリーンピースのソース)ソースが重なって三重奏いや四重奏の様です。
    新しい料理の創造と言うものは、インスピレーションとして、いきなり料理が浮かぶという要素もあるでしょうが、昔の料理からの連続によって誕生している部分も多いと思うのです。
    今回のこの曾村氏のお料理は、間違いなく”令和のベルビュ”と呼んでも差し支えない様な気がします。
    (料理の世界とは関係がありませんが)かつて、徳川三代将軍家光から四代家綱にかけて活躍した老中松平伊豆守信綱の故事を思い出します。
    家光の前に大きな石があり、これを片付けろと命ぜられた松平信綱は、これを運ぶのではなく、穴を掘って埋める事にしました。石があると言う同一の空間(次元)で、力任せに運ぶのではなく、穴を掘ると言う次元を変える事で対応するという事で無理なく目的を達成した松平信綱を人々は”知恵伊豆”と呼ぶようになります。
    目の前に運ばれて来た「湖に浮かぶウズラ」を改めて見て、料理とは技術と知恵の終結であると言う事を改めて思いもしたのでした。
    葡萄の葉で包まれた鶉は、まさにフサフサの毛の生えた鶉の様でした。その鶉の中にはピンク色の肉がしっかりと入っていて、まるで玉手箱の様に綺麗な色彩と、それと同じ位たくさんの味が飛び出してきて、”令和”の祝福を告げる「ウズラ」であったのです。


曾村さんは、「知恵伊豆」ならぬ”知恵木場”なんだね!!


阿寒湖のザリガニのポタージュ:Potage d' ecrevisse de AKANKO



    「阿寒湖のザリガニ」。かつて秋山徳蔵氏が大正の饗宴の儀の際に作った際に取り寄せたのも、この「阿寒湖のザリガニ」でした。
    日本が欧米列強に比肩する国になったという事を内外に知らしめる事にも繋がる、大正天皇の即位と言う歴史的な出来事と表裏一体をなす”メニュー”。その中に組み込まれたのが、「ザリガニのポタージュ」でした。
    秋山氏にまつわるエピソードとして必ず取り上げられるこの”ザリガニ”は、わざわざ北海道の阿寒湖から陸軍の協力もあって捕獲・輸送した”ザリガニ”が脱走をすると言うエピソードを伴っています。
    用意した食材が無い。しかも饗宴の儀のメニューを刷り直すにも時間が無い。と言ういわば追い込まれた場面で、間一髪、ザリガニの脱走の経緯が分かり、回収が出来て事なきを得ると言う、物語では一番の山場ともなるエピソードでもあります。
    かつてフランスではコンデ公の料理長であるバテルと言う人物が、ルイ14世が来訪する際に用意した魚が届かないという事で、自ら死を選ぶと言う事があり、その時以来、「魚」の代わりとして「卵」をメニューの代用に使えると言う慣例が誕生しました。この時の秋山氏もまさに古のバテルの事が頭をよぎったかもしれません。国家の中枢あるいはそれに近しい処にいると言うのは栄誉である反面、一般人では窺い知れない困難も待ち受けている事にもなります。
    「宮廷料理人:バテル」「宮内庁大膳科司厨長:秋山徳蔵」、時代は違えども立場が同じだった2人は常に歴史の当事者でもあったのです。

    ガラスのクロッシュを開けると、見事なザリガニが姿を現しました。下にはザリガニの身と蝦蛄の身が敷かれています。周りの赤い粒々は”ザリガニの卵”
    この白と赤の織りなす空間に、ザリガニのポタージュが注がれていきます。
    静かに、しかしタップリと注がれるザリガニのポタージュ………



まるでザリガニが万歳をしているようだ!! 新帝万歳!! 令和万歳!!




    茶色い濃厚なポタージュにはザリガニの旨味がたっぷりと滲み出ていました。
    古来、甲殻類を磨り潰して作るこのスープ(ビスクと言う)は、多くの堂上貴顕の舌を潤してきました。それは、この甲殻類のパンチの効いたスープの味と共に、甲殻類の身の甘さとはまた違った顔を見せると言う多面性もあるのでしょう。
    塩っ気が無いと美味しくはないが、しょっぱい所まではいかない……まさに”塩梅”が要のスープがビスクなのです。
    「蟹の身を食べると無口になる」と言う俗諺がありますが、美味しいビスクスープを飲んでいると、時間を忘れ、周りを忘れて、掬っては飲み、掬っては飲みを繰り返す機械人形の様になってしまうから不思議です。
    そして、茶色の濃厚なザリガニのスープを飲んでいると、下からラビオリが出てきました。

    「ザリガニのラビオリ」
    フランス料理にイタリア料理の技法が来ると言うのは一見奇異な事に見えるかもしれません。しかし、実はフランス料理の原点はイタリア料理。当時、世界の先進国だったイタリアのメディチ家からお輿入れしたカトリーヌ=メディシスによってフランス料理の原型と近代化が図られます。
    フランス料理より先んじるイタリアの料理の技法をも用いる事は、遠く受け継がれて来た歴史や伝統にも敬意を払う事でもあり、日本人の気質にも馴染むことに違いありません。

    そして、このお料理は、曾村氏がベルギー大使公邸料理人時代に、さる貴人にさしあげたもうた一品との事でした。
    大使館での仕事は多岐に亘ります。貴人の方の海外訪問の際に行われるレセプションを始め、様々な手配に至るまで、所謂VIPの方々の海外訪問が万事宜しく行われしめる様にするのも業務の一つでもあり、このお品もその様な際に差し上げたものだったのでしょう。
    何方に差し上げたのかはお聞きしませんでしたが、「バテル」や「秋山徳蔵」の様に、国家の一翼を担うポジションでの”料理”と言うものは、歴史そのものでもあり、国家の象徴そのものでもあります。
    目出度き晴れの令和のメニューに、かつてその様な方々にお料理を用意されていた曾村氏の一品を頂けると言うのは、望外の幸せであるだけでなく、貴重な得難い体験をさせて頂いたと思います。

    新帝の即位を祝う一品に 古きを尋ねて新しきを知る

噴火湾のホタテとセロリのブレゼ:Coquille-Sant-Jacques de FUNKAWAN et celeri braise



    さて、ザリガニのポタージュの余韻に浸っているうちに次のお料理が運ばれてきました。

    「噴火湾のホタテとセロリのブレゼ」

    大正期・昭和期の饗宴の儀に載せられていた「セロリ」

    この「セロリ」は今で言うところのサラダとしての位置づけであったとも思いますが、特に写真もレシピも無いので、何がどうなったのかは当時の方しか分からない部分でもありますが、昭和の饗宴のメニューには”Celeris Sauce Moulle”とあり、モワル(骨髄)を使ったソースと言う記載があるだけでした。
    今となっては「モワル」なども貴重な素材になってしまった事もあり、なかなかお目にかかれない素材になってしまったので、メニューの打ち合わせの段階では特にモワルに拘るつもりは無いという事もお伝えをしてありました。



    セロリの中に噴火湾のホタテを詰め、生ハムで巻いてブレゼしたもの。
    この堂々としたホタテの分厚さに驚き、こんなホタテを食べるのは久しぶりだと盛り上がる我々……


きっとセロリの中にホタテを入れているのは、これが”モワル”を表わしているんだね!!! 凄いなぁ☆★☆彡♪



    と、上でルイが叫んでいる様に、我々もその様に思って、モワルを模したと思われるホタテの大きさと分厚さに感嘆して、どうしたら立派にホタテの写真が写るのかしらん?などと試行錯誤をしていたのですが………
    「セロリ&ホタテ」が運ばれてきてから数分後
    支配人の市川さんが、「付け合わせのモワルソースです」「お好みにかけて召し上がりください」と、何とモワルのソースを運んで来てくれたのです。
    何という演出だったのでしょう。
    かつて、ウィーン会議の折、かのサガン公ことタレイランが大きな平目を客席に運んできた際に落とした後で、もう一匹用意してあった平目を運んで来て賓客の喝采を浴びたという故事がありました。
    その演出に劣るとも勝るともつかぬ素晴らしい演出ではありませんか!!


1789年以前に生きたことの無い人に、人生の甘美は分からぬ。しかし、2019年以降に生きていない者にフランス料理の真の素晴らしさも分からぬ


    ホタテを中に詰めたセロリの上を覆っている生ハムの上にモワルソースを塗ります。一度…二度…トロリ、トロリとした時間と共に粘度を増すソースを巧く生ハムとセロリに馴染むように塗っていきます。






    モワル独特のトロットした舌触りと、セロリの下にあるサフランをたっぷりと使ったクリームソースが合わさって、これでもかと言うほどの濃厚な舌触りのソースになっていきます。
    ホタテ特有の海の甘さと、セロリの野菜の甘さと少々の空間が空いた青っぽさを生ハムの塩味と肉の味が組み合わさったところに先ほどのモワルとクリームの独特な質感が押し寄せてきます。
    タレイランも此の世の美味とされるものを多く食べていたでしょうが、これもまたタレイランをして自己のメニューに加えよと言う命令が下る様な一品であります。
    モワルソースを運んできた市川さんが、厨房に帰る際に、「このお料理も、曾村が某国の行政府の責任者の方に差し上げたものだそうです。」と言って踵を返していきました。
    例えば、書画・骨董に由来・来歴があるように、料理にも由来・来歴があります。
    今回のこのメニューの一つ一つにも大正・昭和・平成の饗宴の儀に関すると言う由来・来歴がありますが、曾村氏が実際に作ったと言うまさに生きた由来・来歴を持つ料理と言うのは、それだけで価値がある(価値が増す)と言えるでしょう。

    料理は人が食べるもの、だからこそ、作る人・食べる人の双方により「料理の価値」が作られていきます

    そして、フランス料理と外交と言うのは、タレイランのウィーン会議での事例を引き合いに出さずとも、常に表裏一体の関係にあります。
    料理に顕れる食材の豊富さや調理の技法から見える、お互いの国力や文化レベル、果ては人のレベルまでもが透けて見える……人間の英気を養い、姿を形作るものなれども、その様な恐ろしい面も持っている……それが「料理」の魔力であり、人を惹きつけて止まない原点なのだと思うのです。

    このモワルソースの様に、料理をして二重・三重の意味を重ね持つという事は、それだけで高貴な意味合いを持つ料理だと思うのです。

お口直しのグラニテ:granite aux lavander de FURANO



    さて、ここまで、どれも”主菜級”の前菜が終わり、口休めのグラニテがやってきました。
    本当にお口直しと言うのは良く言ったもので、今まで”弩級”のお料理を頂いていても、これを食べる事で、次のメインディシュに心新たにして向かう事が出来る様になるから不思議です。
    今回のグラニテは「富良野のラベンダー」を使ったグラニテです。
    アタゴール特製の「パチパチ君(シュークルペティアン)」が口の中で弾ける度に、ここまで食べてきた一品一品が思い起こされて、スウッと爽やかな胃袋になっていきました。

牛肉とアスパラガスのトルネード:Bouef et 3sorts d'Asperge et Foie gras en roule



    弩級の前菜に続いて悠々と姿を現したのは、「牛肉と3種アスパラガスのトルネード」。
    この記念すべき”令和メニュー”の主菜であります。
    平成の饗宴の儀は、和食で行われたために、直接にフランス料理と結びつけるのは難しいメニューではありましたが、「牛肉のアスパラ巻き」と言う洋風な品が見えたために、これをベースとしてフランス料理に組み立てて貰った品がこの一品になります。
    再び、市川氏が登場し、「この品も曾村が、ある国とある国の貴人の方々が会食をする際に作ったものだそうです。」と言って帰っていきました。
    本当に今回のお料理は何と素晴らしい由来・来歴があるのでしょう……
    正直、まさかこんなお料理を食べれるとは思ってもいませんでした。
    もちろん、フランス料理は昔の偉い人達が食べた料理の集大成でもあるので、何を今更驚くべき事でもないのでしょうが、しかし実際にそれを作った方の再現となるとリアル感が半端ではありません。

    時を跨ぐ、時が重なるとでも言うのでしょうか?

    料理の素晴らしいところは、時を超えて、過去のものを今食べる事が出来ると言う点もあります。
    無論、昔のレシピだけあって写真なぞ無い時代の料理の再現は難渋を極めます。
    また、昔のレシピの通りに作ることが出来たとしても、現代人の口に合わないと言う事もあるでしょう。
    ヌーベルキュイジーヌ(Nouvele Cuisine)が受け入れられた一つの理由として、現代人が1840年台~1900年台初頭に比べてカロリーを消費量が減ったという事に合わせて、口に会う素材や調理法が変化したという事があるでしょう。
    そういう意味で、料理は社会の変化と軌を一にする訳であり、そこに有意的に料理を再構成していく意義も認められることになります。
    今回、”令和”を祝する意味でのメニューの枠組みを作って行く際に、大正・昭和・平成の3つの饗宴の儀から料理を選んで組み立てていきました。
    しかし、これは当時のメニューを忠実に再現して欲しいという事ではなく、料理の素材や調理法と言った枠組みを踏まえて、新しい時代のスタートを祝うメニューとしての料理を食べてみたいという事でもありました。
    過去のメニューの枠組みと、曾村氏が過去に貴顕の方々にお出しした料理とが重なり合った事に素晴らしい意味があるのであり、そこに新しい”令和”の事始めがあるのだと思いました。




    牛肉の中には、アスパラガス・アスパラガスソバージュ・ホワイトアスパラを入れ、中にフォアグラを詰めてクレピネット(豚の網脂)で包んで火を入れたもの。
    圧倒的なヴォリュームと、質感が口を襲います。
    ゴツゴツとした岩を切り崩すかのように肉にナイフを入れ、歯応えのある牛肉を噛みしめながらフォアグラの脂と一緒に食べる喜び……クレピネットの脂とソースを付けてパンを食べてしまう喜び……牛肉に負けずに存在感を示すそれぞれのアスパラガスの繊維質……
    メインの料理はかくあるべきとも言う一つの姿を表しているようでした。
    「短角牛」の脂身の少ないキュッキュゥとした肉とフォアグラの組み合わせも後一切れと言う段階になって、「あぁ、これで終わってしまうのかぁ」と惜別の念とも残念な感情ともいうべき何かを思ってしまった事に、”令和の世”もまた美味しいものを追求していきたいと改めて思った自分を少々誇らしいと想ったりもするのでした。


ライスプディング:Ris Pudding



    アミューズの「トマトのガスパチョ風」、前菜の「ウズラのベルビュ」「ザリガニのポタージュ」「セロリのモワルソース」と来て、主菜の「牛肉のアスパラ巻き」と怒涛の勢いで進んで来た今回の晩餐。
    それは、あたかも新しい時代を告げる”疾風怒濤(Sturm und Drang)”の如き料理の数々でした。
    静かに、しかし情熱的に燃えさかる料理の炎の向かう終幕は果たしてどの様なものが待ち受けているのでしょうか。


こ……こ……これは???
タワー(塔)それとも「冠」???




ココナッツアイスの挟んである上の蓋を取ると……
彫り込みがあるマンゴー???




マンゴーの中から万華鏡みたいに色々な珠が飛び出してきた~~~~☆彡


    市川氏これもまた、曾村が某国と某国の貴人の方々のお食事にお出ししたものだそうです。

    切り込みの入ったマンゴーを開くと、そこは色とりどりに着色されたタピオカが入ったライスプディングの玉手箱でした。
    今回、デセールにライスプディングを選んだ経緯は<< Menu 令和 (その構想)>>でも触れましたが、恐らく秋山氏は本当はライスプディングをメニューに載せたかったのではないかな?とおもったりもした事や、やはり日本は「豊葦原瑞穂之国」でもあるので、”米”は日本の象徴でもあるなと言う事で、何かの形で組み入れてみたいなと思っていたのでした。
    甘いココナッツミルクに良く馴染んだ米の味が、クニュクニュとしたタピオカを交えて優しく舌の上に広がっていきます。ココナッツの甘さをベースに、お米の甘さ、マンゴーの甘さ、チュイールの甘さ、ココナッツアイスの甘さ、粉砂糖の甘さ……と甘さの六重層です。
    不思議なもので、ココナッツの甘さは、妙なイライラや頭がグルグルする様な時に食べると穏やかな気持ちにさせてくれます。
    令和の「和」は、”和みの輪”でもありましょう。新しい時代は、日本も、世界も優しい和が広がっていくように……
    甘さの六重奏はお互いに排斥せず、触れる事で自らを高めて行くような…そんな優しい甘さが感じられるライスプディングなのでありました。

    疾風怒濤の料理と最後の柔らかいデセール……その緩急のつけ方が、素晴らしい”Menu 令和”でありました。
    今回、このメニューを作って頂いた曾村譲司氏は、秋山氏や、古のバテルの様にオフィシャルな立場で料理を作ってこられた方でもあります。
    改めて、その貴重な経験と知識に裏付けされた素晴らしい料理の数々を堪能出来て、幸せな晩餐であったと思います。

食後のプチフールとコーヒー



    サロンカーに移動して、最後のコーヒーを飲みつつ、甲乙点け難い今日の料理の反芻をしておりました。
    どの料理を食べたいか?と聞かれれば、「全部」と答える様な、どれも夢のような品々だったのです。
    19世紀生まれの人間によって組み立てられた20世紀の饗宴の儀のメニューの数々、それを基にして、曾村氏が堂上貴顕の方々に差し上げたお料理の数々が重なり合う時、新しい”令和”の時代が、かつてのベルエポックの時代の様に、優雅で洗練されてはいるが中味もしっかりとしているフランス料理の時代の到来を告げる嚆矢となる事を願ってやみません。
    それはベルエポックの様に過去に過ぎ去った時代の懐古では無く、新しい時代に向けてのフロンティアへの出発なのでもあると胸に熱い想いが込み上げた2019年の5月某日の事だったのです。

    かつて、ウィーン会議の主宰によりヨーロッパ30年の平和をもたらしたタレイラン。
    そしてバランスオブパワーを主眼に据えたビスマルク外交と呼ばれる比類なき外交手腕により同じくヨーロッパに30年以上の平和をもたらしたビスマルク。
    彼ら二大巨頭のお蔭で、フランス料理は華麗に発展してベルエポックの時代を迎えたともいえる。
    フランス料理の発展に平和と一定の安定はつきものなのである。

    ”太陽の没せぬ国欧羅巴”

    ”フランス料理それは一つのフロンティア”

    共に、平和であることが齎したものだと思う現在、令和の世が世界にあまねく和をもたらす時代である事を願いつつ、新しい時代の到来を祝いたいと思います。


令料理得和等万民:料理をして等しく万民に和を得さしむ