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Menu 【食いしん坊のアンリ】(実際のお料理)@ A ta guele

    2019年02月の某日、ブルボン朝の初代であるアンリ4世の魅力的なキャラクターや業績をベースに考えたメニューの構想を基にして、わたくしルイの為に、A ta guele の曾村シェフが実際にお料理を創って下さいました。

鴨のリエット: rillettes de canard chaud



    最初のアミューズは「鴨の温かいリエット」。
    2月も寒さが続く折、席に着いてのスタートは身体が温まる様にとの、フォンデュ仕立てのリエットでした。
    フォンデュと言えば「チーズ」と相場が決まっていますが、ここアタゴールでは普通のチーズフォンデュもするけれども、ちょっと変わり種のリエットを溶かしてグツグツするバージョンも登場します。
    良く出来たリエットは、それこそパンを”ウソッオ”と言うくらい食べてしまっていけないのですが、元々は獣の脂を混ぜて作るので、温めるとオイルフォンデュの様になるのはなかなか目の付け所が素晴らしいなと最初に食べた時は思いました。
    今回の”リエットのフォンデュ”は「と鴨」を使っていますが、贅沢にも”フォアグラ”も混ぜている豪華版で、最初からパンが進み過ぎて困ってしまいます。
    フォークでパンを指し、グツグツとした中を潜らせて食べる鴨とフォアグラ……
    徐々に煮詰まってきて、濃厚な、飴のようになって味が凝縮されている中に潜らせて食べるパン……
    本当に、人間の根底に流れる「美味しいものへの熱意」には頭を下げるばかりなのでした。

    ゲーテよろしく、もっと、小麦をと申し上げるのは自制しましたが、

    人間のあくなき熱意を追い越そうと進化する料理に、身も心も温かくなって、これからのご馳走を”理性を以て味わう”準備が出来たのでした。

コンソメ ブルボン:Consomme Bourbon




    前菜の1皿目にはスープの「コンソメブルボン(Consomme Bourbon)」。

    卵型にした鶏のファルスを浮き身にして作るスープで、【ブルボン(Bourbon)】と言う名前が付く通り、フランスとスペインを支配したブルボン家を表しています。
    スペインを支配するのは、このアンリ4世から100年程下ったルイ14世の時代のスペイン継承戦争を経ての事になりますが、フランスでは途絶えたブルボン家も、スペインでは現在もブルボン家の系統が王様として存続をしています。
    (1931年~1975年には一時的にスペイン国外に追放されていた時期もある)
    元々、アンリ4世自体は、スペインとの国境付近の【ナバラ王国(Royaume de Navarre)】で生まれており、フランス国王になる際に、同時にこのナバラ国王と言う地位も持って即位したために、代々のフランス国王も、このナバラ国王と言う称号も名乗る事になります。
    もちろん、ヨーロッパの王家は婚姻関係を通してあちこちと縁戚関係にあって、細かく辿れば皆がみんな親戚と言う事にもなる人間関係ですから、”どこが支配した”と言うのも実は狭い世界の事になってしまうのかもしれませんが……

    白いお皿に、鶏の白い肉質を前面に出した浮き身
    実際には、「浮き身」と言うよりは「クネル仕立て」と説明があったように、しっかりとした質量で、中にトリュフが練り込まれていたりして非常に贅沢な浮き身です。
    この、白い空間に、しっかりと鶏で取った赤がね色のチキンコンソメが注がれていきます。
    コンソメが入る事でガラッと変わる白い空間……この演出と言うか、色調の変化と言う”場の変化”も「料理」を味わう上でのご馳走の一つでしょう。
    良くひかれた鶏肉と脂が混じる中で、鶏肉特有のモソモソ感になる事も無くあっさりだけども舌の真ん中に存在感を残して行きます。
    その後を時間差で追う赤いコンソメ。コンソメが通る事で白い存在に新しい影が生まれる……そんな重なり合いの”妙”が楽しめる一品……

    それは、カトリック”か”プロテスタント”かの二者択一では無く
    両方が併存する事を成功させてフランスの安定と平和をもたらしたアンリ4世その人を表したスープの様でもありました。

サラダ”ポンヌフ”:Salde "Pont-Nuff"





    続いてのお品は”サラダ”
    事前の相談の際に、「初めて辻静雄の本で覚えたものが「ポンヌフ」と言う拍子木のポテトだったので、折角なのでそれをモチーフにして一品を」とお願いをしたのです。
    てっきり「ポテト」でアレンジされたサラダが来るのかと思ったのですが、豈はからんや、想像だにしない綺麗なサラダが登場したのでした。
    メニューの相談をして料理をお願いする際に、こちらの考えた概略通りのものが出てくる場合もあるし、こちらの想像の斜め上を行くものが出てくる場合もあるしで、「何が出てくのか?」とワクワクしながら当日のお皿を待つのも一つの醍醐味ではあります。
    無論、会食などの場合にアレンジの余地が無い場合もありますが、それはその時であって、そんな機会はたまにしか無いワタクシの様な者は、かえって「メニューをどう捻ってくるかな?」と言うのが楽しみでもあるのです。

    「ポンヌフのサラダ仕立て 愛媛県のカンペイ、鳥取県のモサエビとその卵を使ってあります」
    と支配人の市川氏が運んできたお皿を見て、思わず感嘆の声を上げてしまいました。
    もっと武骨なイメージを(勝手に)描いていた訳ですが、その期待は見事に月面宙返りの様な感じで何倍もの興奮を呼び起こしたのです。


このカンペイが橋で、周りの摺りガラスを繋いでいるように見えるYO!!



    そうです、お皿をパリに見立てて、真ん中を通るカンペイ(オレンジ)は、まさにパリのポンヌフ(Pon-Nuff)そのものを表しているようです。
    オレンジの明るい柑橘系の色合いと、モサエビの滑らかな乳白色と卵の明るい海ブドウの様な色が、華やかなパリを彷彿させます。
    「いや、もったいない。食べるのがもったいないなぁ。」
    「カンペイ」の甘さの甘い事。柑橘類の中でも相当に糖度が高い甘さで、まさに”蜜柑”と昔の人が漢字で表わした理由が良く分かる様な甘さです。
    モサエビのねっとりとした身の甘さにマリネがされているので、さっぱりして幾らでも食べてしまいそうになるし、青翠色の新鮮な卵のツブツブの食感が柑橘類の身の中で弾けてまた独特な食感を味わう事が出来ました。

    辻静雄が「フランス料理の手帳」に載せていたポンヌフは、「ムシューいじわる」の覚えたメニューと言う一節でありましたが、ステーキの付け合わせのポテトが、こんな形で”目にも美しい、食べて美味しいサラダ”に変身するとは、数十年前に初めてこの本を買って読んだ時分には想像もつかない事でした。
    (辻静雄が載せた「ステーキの付け合わせのポテトとしてのポンヌフ」とは、牛フィレ肉のアンリ4世風(Tournedos HenriⅣ)の付け合わせとして添えられる井桁状に組んだポテトの事を指します。まさに【アンリ4世】を象徴する【ポンヌフ】と言う訳なのです。)

    また、これは、日本でも同じですが、交通の利便を図ることは経済の活性化に繋がる一大事業です。
    今でこそ、この橋の名前は「ポンヌフの恋人」などの甘いイメージのある”橋”ではありますが、【Pon:橋】【Nuff:新しい】と称されるように、パリの中心部を流れるセーヌ川にかけられた新しい橋でもあります。橋を架けない事による軍事上のメリットと、橋を架ける事による経済上のメリットの比較衡量は常につきまとうものですが、経済的な利便を促進するという事は【国民に鶏を食べさせたい】と願うアンリ四世の意に馴染む事だったのでしょう。
    実際にポンヌフ自体の構想は、アンリ4世の前の王朝であるヴァロワ朝のアンリ3世が決定した事でもありますが、国内での宗教紛争を巡る争いに目途をつけたアンリ四世によって完成されたと言う事からも今回のメニューには是非とも組み入れたいと思ったのでした。

    橋が引き寄せた”と言う訳では無いでしょうが、

    ”巡り合わせ”とは誠に不思議なもので、辻静雄の本を枕元に置き、「どんな料理なんだろう?」「何処に行ったら食べられるのだろう?」と想いを巡らせていた時分、自分がメニューをお願いしてテーマに沿った形で凄腕のシェフに作って貰うなどと言う事は考えもしなかったものでした。
    「美味しいもの」「美食」に興味はあれど、それを具体的に実現するところまで想像が働かなかったところに、自分の足りなさがある訳ですが、今、ここで、こうして目の前に素晴らしい料理が並んでいる事に、”ただ、只管に、自分の考える美味しいものを食べたい。と言う信念を貫いて来て良かったと思うばかり”。
    【孔子】の言うところの”明日に道理を聞けば、夕べに死すとも可なり”と言う言葉が思わず足りない頭の中で浮かび上がる訳ですが、しかし、孔子ほど頭の良くないワタクシは、”明日に美食をすれば、夕べも美食をせずは不可なり”と言う性質なので、「これからももっと美味しいものを食べるぞ、」とこれから益々どんどん意気軒高になっていくのでした。
    そして、”蟻の思いも天に届く”にお付き合い頂いて、料理を作って頂いている曾村氏を始め、処々の調整に当たって下さる市川氏ほかアタゴールの皆さんにこの場を使って改めて御礼を申し上げる所であります。

牡蠣のマルクエーベルラン:



    前菜の三皿目として、”牡蠣”が運ばれてきました。
    牡蠣好きのアンリ4世は、「生牡蠣にレモンを絞ったもの」「牡蠣にアメリケーヌソースをかけたもの」「牡蠣とほうれん草のフローレンス風」が好きだったと伝わっているようです(「村上信夫の料理ノートP16」)。そして、「鶏のポットフ―(Poulet au Pot)」
    「生牡蠣にレモン」と言うのは、今も昔も変わらぬ食べ方なのかと思うと面白いですが、「フローレンス(フィレンツェ)風」などと言うものが出てくるのは、アンリ4世の正妃であるマリー=ド=メディシスがイタリアの流れを汲んでいるかしらと思ったりもする訳です。
    フランス料理の近代化(基礎作り)に、イタリア文化、特にフィレンツェのメディチ家からフランスに嫁いできたカトリーヌ=メディシスの影響が大きかった事は夙に有名ですが、そのカトリーヌと同族であるマリーの許には元々の出身地であるイタリア料理の影響を受けた人も多かった事でしょう。
    そんな経緯もあり、アンリ4世が「フローレンス風」を好むに至ったかは定かではないですが、料理の成り立ちを考える際の一つの手が掛かりではあります。
    (「レモン」に関しても、地中海で栽培が可能と言う事で、これもまたシチリア島(シチリアレモン)からの経由が濃厚なので、また「イタリア」の影響と言う事になりそうです。)

    さて、今回の”牡蠣”は、「マルクエーベルラン風」
    マルク=エーベルランとは、有名なフランスの「オーベルジュ・ドゥ・リル」を経営するシェフの名前です。
    (ポール=エーベルラン、ジャンピエール=エーベルランの兄弟。そして、ポールの息子のマルク=エーベルラン。)
    エーベルラン家は、代々料理人の家系らしく、既に1880年からレストランを開いたらしく、その様な中でマルク=エーベルランも料理人としての感性や技術を磨かれてきたのでしょう。
    長くフランスの三ツ星でもあり、日本でも「オーベルジュ・リル・東京」の名前でも有名なお店でもあります。
    残念ながら、2019年のミシュランで2つ星になってしまいましたが、50年余の三ツ星を維持した料理は素晴らしいものがあるでしょう。
    エーベルランのスペシャリテは幾つもありますが(検索をすると、オーベルジュ・リルの3つ星50周年記念をしての「ひらまつ」でのメニューが良く出てきます)、「蛙のムース」や「鮭のスフレ」などが有名で、古典派料理からヌーベルキュイジーヌにかけての料理を精華させていった料理が多い様に思います。
    今回の曾村氏の料理は、”牡蠣”の周りに「ホタテのムース」を敷く事で、エーベルラン氏へのオマージュと言う事かと思います。

    ぷっくりとした牡蠣のふわふわのポワレの加減が良く、また牡蠣は貝類にありがちなワタの部分の味が柔らかい事もあって、その身の甘さもあって、幾らでも食べてしまえそうな気になります。
    チベリウス帝の1200個(100ダース)、アンリ4世の240個(20ダース)に挑戦しようとは思いませんが、しかし、それだけ食べたいと言う欲求を掻き立てる事は確かです。
    ”牡蠣”だけでそんなに食欲を亢進させるのですから、これにホタテの身の軟らかい甘さと穏やかな塩加減のムース、同じく柔らかいバターのクリームソースが合わさると、「どうして、今日は”牡蠣”のコースにしなかったんだ!!」と自らを責める様な気持ちになってさえしまいます。

    【閑話休題】

    ”牡蠣のコース”は、また違う時に考えてみようと言う事で、今は目の前にある”牡蠣”をゆっくりと堪能する事に神経を注ぎます。
    ”牡蠣”や”帆立”などの魚介類とクリームソースの組み合わせはお約束でもありますが、”お約束”と言う言葉があるように、揺ぎ無い美味しさを保証してくれます。
    硬すぎず、緩すぎず、決して薄くないソースのコクのあるそれでいて優しいバターの味が秀逸なこのクリームソース。
    見た目よりもしっかりとした味わいのクリームソースが、”牡蠣”や”帆立”の塩っ気と被さって美味しさを積み重ねていくのは、ホタテのムースのお蔭でしょう。
    ”牡蠣”とソースだけでも美味しいのはもちろんですが、「エーベルラン風」として帆立のムースが入る事で一段贅沢な味わいになるこの一品……
    もし、アンリ4世が生きていた時に食べていたならば、きっと好物として”Huitre HenriⅣ”の名前が付されて今に伝わっていたかもしれません。
    そんな思いを抱かせる”牡蠣”は2個でも4個でも5個でも無く”3個”……
    あたかも、かつて【銀座のきよ田】の3つ置かれた鮪寿司の様に、そこには何かの哲学があるのかな?との不思議を残して前菜は終りを告げたのでした。
    (ちなみに、240個の牡蠣を食べたアンリ4世が用意させた牡蠣は「ブロン」「マレンヌ」「カルカン」の3種類)

お口直しのグラニテ:granite aux melon



    お口直しには「メロンのグラニテ」。
    緑色がガラスに映えて綺麗な風景です。
    メロンの爽やかな風合いが前の”牡蠣”のクリームソースをさっぱりリフレッシュさせてくれます。
    【メディチ家】と言う事で、「イタリア料理の定番のメロンに生ハムと言うのはあるけれど、メロンと”牡蠣”は合わない様な気がするし、他の素材とも実は難しいよね?」と言う会話が繰り広げられたりしましたが、メロン自体はカリウムが豊富で塩分を体外に排出する優れた機能を持っているので、巧く組み合わさると【美食家の朋】だなぁなどと思いつつ、「牡蠣のコース」や「メロンの組み合わせ」とか……”色々と触発されるなぁ”と思いつつ携帯にメモをして残しておいたりしたのでした。



    「メロンのシャーベット」が片付けられて、暫しすると、市川氏を始め、厨房の方達がガタガタとテーブルを動かして何やら配置を動かしています。



    そして、再び市川氏が大きなまな板に載った(美味しそうな)鶏を運んできました。

    「いや見事な!!丁度頃合いよく焼けてるし♥」

    とワクワクして小躍りするワタクシ。
    すると……何と厨房の奥から曾村氏が自ら登場……整列する厨房他スタッフの皆さん……

    何と曾村氏直々にデクパージュをしてくださると言うことに!!!


(;゚д゚)ゴクリ…

    長い包丁とフォークを軽々と取り上げ、左手のフォークを鶏に差し、右手のナイフで切れ込みを入れて、更に鶏の上の方の皮に包丁を当てて、真ん中へと綺麗に的確に入れていきます。
    余りにも流れる様な動きで、ものの数分でお目当ての部分が切り出されました。
    そして、切り取られた鶏をお皿に移して、ソースをかけていきます。
    ベアルネーズソースと、鶏のジュをベースにしたソースの二つ。
    この時のソースパンからソースをかける際も、また素晴らしい速さでかき回してサッとかけて下さいました。

    今までにも何回かデクパージュを見せて頂いた事はありましたが、この様な速い流れる様なデクパージュは初めてみました。
    それこそ、パイレーツオブカリビアンのジャックスパロー張りの得物使い、或いは、香港映画の刃物使いと言った感じでもあります。
    もちろん、デクパージュは早さを競うものでもないでしょうが、この素早さで綺麗にデクパージュが出来るのは、それまでの修練の賜でしょう。

    そもそも、デクパージュは中世の頃に、王や貴族が食事をする際に暗殺を恐れて信頼できる近親者に肉を切らせた事が原点にあります。
    ですから、デクパージュ云々はどちらかと言えばサービスの領域に入る部分であって料理の本質とは違うのかもしれません。
    しかし、サービスのやる事も出来ないと全体の統括は難しい部分もある訳で、料理と同じようにサービスの水準を高みに持って行くと言う事も料理をする人にとって大事だと言えるのだと思います。
    今回のこの曾村氏のデクパージュの淀み無い動きを拝見して、”一体これをどこで練習されたのかしらん?”と言う事に加えて、それだけこの”鶏のアンリ4世風”に気合いがはいっているんだなぁとまざまざと感じた次第だったのです。

    かつて、辻静雄が伊丹十三と【コンソメ論争】をした事があり、その中でのフランス料理の本質的な部分を巡る考察の中で、種村氏が【演劇的空間】でさえあるとの見解を開陳していました。
    フランス料理のセレモニー的な意味合いを含んでの考察でもありますが、料理には様々な意味合いが含まれている事は確かで、【料理自体の美味しさ】に加えて種々の要素が入ってくる事も確かでしょう。
    例えば、上はVIPが集う宮中晩餐会や外交の場などでは、【料理の味】に加えて、テーマや意味が含まれる様な場合もあるでしょうし、そう言うオフィシャルな堂上貴顕が集う様な場合では無い一般人のクリスマスやバレンタイン・ホワイトデー、○○の日の様な場合にも【美味しい料理】に加えての【何かの意味】が加わる様な場合もあります。
    要は、【料理】を食べる目的に更なる効果をもたらす上での【演劇的空間】の濃淡と言う部分かと思われる訳です。

    今回のアンリ4世にちなんだメニューをお願いするにあたって、メインを「牛」では無く「鶏」にしたのは、

    「国民全員が鶏のスープを食べられますように」と言うアンリ4世の考えに敬意を表したかったと言う部分が大きかったのでした。

    これは、ユグノー戦争を終結させて、国内のカトリックとプロテスタントの融和を進めて行くと共に、民生の充実・安定を図ると言う意図もあったでしょうが、深く国民の事を思っての事でもあったでしょう。

    ”良王アンリ(le bon roi Henri)”

    今回曾村氏がわざわざデクパージュをしてくださったのは、そう言う敬意を表したいと言う想いを汲んで”【作り手】と【食べ手】が共に”と言う事を身をもって表してくれたと思うのです。


「僕はむしろフランス料理は錬金術的であるよりも
演劇的であることによってとらえたいですね」:種村季弘



    そう言った様々な過程を経て登場したメイン”プーレノワールのアンリ4世風”

    【フランスの国鳥】を表す”鶏”
    そして、アンリ4世が国民全員が”鶏”を食べれるようにと込めた想い。
    その重なり合いを考えてメインディシュに”鶏”を選んだのですが、ここで一つ問題が……
    今まで、結構いろいろな所で”鶏”を食べて来たのですが、余り美味しいと思った事が少ない……
    そんな事もあって、”鶏”をメインに選ぶのはそれなりに勇気がいったのですが、フランス料理的に色々とメニューを考えて行く際に”鶏”に関わるものも多いので、何とか美味しい鶏に巡り合いたいとも思っていたので、その辺をも含めて曾村氏なら美味しい”鶏”を探してくれるかな?と言う事も考えて、”鶏”をメインに据えようと言う部分もあったのである。

    プーレノワール」です。と市川氏。

    ブレスでは無く?

    「はい」

    「なるほど、鶏と言えばブレスとなりがちだけれど、そう来るか」と思いつつ、良い色に焼き目のついた皮にナイフを入れたのでした。
    が……

    「これは美味しい♪ こんな美味しい鶏初めてたべたわ♪」

    「しっかりとした歯応えに、コクのある鶏の味……こういう鶏を待っていたんだよねぇ」と有頂天になるワタクシ……
    「そうかぁやっぱりあるんだなぁ美味しい鶏は」などと嘯きつつ、上機嫌で”鶏”を食べていきます。
    ”プーレノワール”とは、「黒い鶏」とも訳されるますが、フランス原産の鶏で、非常に旨味の強い”鶏”とされています。
    もちろん、食の好みは色々でもあるでしょうから、たまたま今まで食べた”鶏”が口に合わなかったと言う事なのかもしれません。なので、実際の旨い不味いは非常に主観的であったりもする訳ですが、例え、主観的であったとしても自分的に美味しい”モノ”にぶつかった嬉しさは何ものにも代え難いものがあります。

    プーレノワール

    ワタクシメはこの”黒い鶏”との出会いを忘れる事は無いでしょう。
    そんな出会いがこのメニューを通じてあったと言う事もまた忘れる事はありません。

    パリッと焼けたプーレノワールの皮と身の間には、黒トリュフが埋まっています。
    こうすると、鶏にトリュフの芳香が移ってまた美味しさが増す贅沢な技法です。
    また【黒い鶏】に【黒い宝石】と言う言葉の組み合わせは、何ともエレガントでもあり、また重厚感も出る組み合わせでしょう。
    そこには、”ただ美味しいだけでは無い、料理が存在をしているのです。”
    【贅沢である】と言う事は、素材や調理法の贅沢さもさることながら、それを取り巻く周辺部の積み重ねでもあると思うのです。
    今回は、【アンリ4世に関するメニュー】というところから出発して、様々な出来事が積み重なる事になりました。【辻静雄への想い】【演劇的空間】【プーレノワールとの出会い】等々。

    ベアルネーズソースと、プーレノワールのジュのソースが混じり合う中、素晴らしい深みを持つプーレノワールの肉と脂に皮目、そしてトリュフの芳香の重なり合いは、この上もないフランス料理の一品でありました。
    フランスの混乱を収束させ、ブルボン朝の開祖として栄光の時代の礎を築いたアンリ4世。それを表す料理としてこんなに素晴らしい一品は無いでしょう。
    これが、後世に”プーレノワールのアンリ4世風”として残るかどうかは神のみぞ知る処ではありますが、2019年の2月のある日に創作されたこの一品は、誰が何と言おうと、当に【かくも贅沢なフランス料理】なのだと思うのでした。

:Galette a ia Nantaise



    デセールは「林檎のクレープ(ガレット)」でした。

    アンリ4世がカトリックとプロテスタントの争いに終止符を打ったのは、1598年、フランスのブルターニュ地方のナント(Nantes)と言う都市で発布した「ナントの勅令」と呼ばれるものでした。
    これにより、新教徒であるプロテスタントにも旧教徒であるカトリックと同等の権利が与えられる事になり、フランス国内を二分した党派的な争いが終了します。
    元々は新教徒であったアンリ4世の心境からすれば、極めて政治的意図に満ち溢れた施策でもあったでしょうが、無意味な争いが国力低下の原因である事を慮っての判断に極めて政治的な有為性を認める事ができるものです。
    結果として、この事により商売上手な新教徒がフランスに定着する事によって、フランスの重商主義に途を開くと共に、ルイ14世に代表されるブルボン朝の絶対王政の基盤を作る事になりました。
    爾来、100年弱、皮肉にも絶対王政の興隆を極めたルイ14世による「フォンテーヌブローの勅令」によりナントの勅令が廃止されるまで、強国フランスの時代が続く事になるのです。
    アンリ4世の重商主義的な政策の現れにより、ナントは貿易港として栄え、この地を経由して砂糖が入ってくる事になりました。
    そんな事から、ナントの名物として”クレープ”が根付くきっかけにもなったのですが、このナントのあるブルターニュ地方は”リンゴ”の産地で、シードルの有名な場所でもあります。
    (同じく、リンゴの蒸留酒である「カルヴァドス(calvados)」はノルマンジー地方で生産されたものにだけ呼称が許されるAOCの規制にあり、ブルターニュで生産されたものを「カルヴァドス」と呼ぶことは出来ない)

    その”ナント”を表したデセールとしての「林檎のクレープ」なのでした。

    出来立てのホカホカに、リンゴのアイスクリームとヴァニラのアイスクリームが乗っています。
    「紅組」「白組」と言うよりは、「カトリック」と「プロテスタント」と形容した方が良いのかも知れません。
    蕎麦粉をベースにして焼き上げられたクレープに、リンゴの匂いと微かに薫るシードルの匂いが、鄙びた感じで郷愁を誘います。加えて、ヴァニラビーンズの甘い香りが先ほどのベアルネーズとジュのソースの上に上書きされて行きます。
    アイスクリームの下には、リンゴのタタンが埋められています。
    クレープの色彩とリンゴの赤い色と、適当な焦げ目が、織りなす風景が、あたかもベルナール=ビュッフェの絵画の様に思えた時、「アンリ4世がクレープを食べるとしたら何枚食べるのだろう? 流石に240枚はいかないよね」などと冗談を言うほどに少々酔いが回った自分がいたのでした。

食後のプティフールとコーヒー



    一連のメニューを食べ終えてサロンカーに移動しました。
    アンリ4世をテーマにしたメニューも終わりへと辿り着きました。
    最後のプティフールは「黒糖のプリン」。そして、コーヒー。

    食べる側も、作る側も、共に頭と心を使って作りあげる【オートクチュールのメニュー】
    ただ、美味しいと言う事だけでなく、何らかの意味をも包含する契機を孕むのは、フランス料理が様々な歴史と伝統によって受け継がれて来たものだからと言う特性によるのかもしれません。
    ”美味しく食べる”と言う人間の営みに他の要素を盛り付けていく事が【錬金術的】なのか【演劇的】なのかは、凡夫のワタクシには想いも寄らぬ事ですが、自分の考えたメニューに多少なりともの意味を盛り込む事が出来るのであれば、それは【食道楽】としても、少々品位を獲得出来るかな?などと思ってみたりもするのです。


「この一年、フランス料理を教えていただいて感じたことは、フランス料理は錬金術と重なるのではないかということだったわけです」:伊丹十三