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2019年08月01日:某氏と会食【馬と鹿のカツレツ】@A ta guele (アタゴール)

    先日、アタゴールで食事をする前日に、(普段は相談事など皆無のワタクシのところに)敬愛する某氏から「御話シタイ旨有リ、近々二」なる連絡があったので、それならば、アタゴールで食事をしようと言うことに思い立ち、予定の日まで時間は限られていたのですが、個室を押さえ食事会の段取りを調えたのでした。

アミューズ:鮎のベニエと鮎の冷製スープ (beginet de AYU et soup aux AYU froid)



    アミューズとして「鮎のベニエと鮎の冷製スープ(beginet de AYU et soup aux AYU froid)」。
    今回は、会食までに時間が押していた事もあって、特に珍しい素材を取り寄せてのメニューは難しいこともあったので、今、アタゴールのメニューに載っている料理の食材から考えて、メニューをお願いする事にしたのですが、今回お会いする方が「鮎好き」だという事は頭の片隅に浮かびつつも、今年はメニューに「鮎」が載っていないなと言う事もあって、特にメニューに盛り込む事は考えていなかったのです。

    が?

    どうしたものか、”市場の気紛れか?”あるいは”ヘスティア様の思し召しか?”……何故にか会食の前日にメニューに「鮎」が登場………
    ここで、当日のメニューに「鮎」を入れなおしてもらおうかな?などと思うものの、流石に前日に差し替えは良くないなと思い直して、今回「鮎」は見送るつもりでもあったのでした。

    そんな事もあり、「今回「鮎」は間に合わなかったねと思いつつ、アミューズは普通に」と構えていたところ
    「アミューズは、鮎のベニエと冷製スープです」と言って最初の料理が運ばれてきたので、

    会食相手の方の好きなモノがピタッと嵌るかの様に出て来て良かった(メニューの差し替えしようか悩んだのに)】

    と言うことと

    やっぱり【我が美食人生こそ天の道なりなどと、相手には臆面も出さずに内心自らの僥倖を感謝してもおりました。

    琵琶湖産の稚鮎の若々しいベニエ(beginet:フライ様のもの)を口にして、これまた鮎で作られた冷たいスープを飲むと、おもいっきり「鮎」「鮎」「鮎」と言う感じが口に広がって、鮎の少々苦い部分や、しっかりとした肉質の部分までもが浮かび上がってくるのを感じて、フランス料理のスープの中でも【鮎のスープ】は、それこそ”A la Japonaise”なんだろうなと思うような、只、強烈に自己主張するだけでは無い、”角の取れた突き抜け具合”を感じさせてくれる一品でありました。

    お皿の真ん中に配置された果物の様な「金糸カボチャ」の軟らかい風合いと、「鮎」の口撃を相互に感じつつ、初夏の名残りを楽しんだのでありました。

前菜:夏トリュフのコンソメ パリソワール (consomme de truffe d'ete en Paris-soir)



    アタゴールのメニューに載っていると、毎回の様に、それこそとり憑かれた様に頼むのが、この「トリュフのスープのパリソワール」。
    それほどまでにワタクシを魅了するスープは、まさにアタゴールの曾村氏の”まごうかたなきスペシャリテ”でもあるのですが、これまた巧く作るのにはなかなか才覚と技量が求められるものであります。

    【パリソワール】と名がついているけれども、実はフランス人では無く日本人が発明したとされる一品。
    冷たいコンソメスープに、トリュフのクリーム状になったものが合わさったものですが、コンソメの濃厚な肉の味に、トリュフの甘いようで鼻をくすぐるような何とも形容しがたい芳香が味わえるという優れもの。

    冷たい透き通るようなパリの空気の中で、灰色の雲のようなクリームが表す”夕暮れ”………
    それこそ、”日本人の感性”が織りなす絶妙な一品だと思うのです。
    コンソメの中に「ジュンサイ」が浮かんでいると、あたかも京都の広沢の池の様な雰囲気をも感じさせるのは、日本的なものの見方になるでしょうか。
    この日、「源氏物語」の話などをした訳ではありませんが、しかし「パリソワール」から「京都」を想うと言うのは、同じように歴史と伝統の織りなす永い都に繋がる様な気がして、”a la japonaise”のフランス料理を考える際に「源氏物語」などの古典や(「京都」など?)をベースにメニューを考えて行くのも面白いのかななどと言うちょっとした着想を得たりもしたのでした。

    冷製のコンソメは、先ほどの冷製の鮎よりももっともっと奥が深く、そしてフランス料理の深淵な部分に迫るようなものでもありますが、ここ最近の異様な暑さの折、身体に籠った”熱”を解放するには冷たい料理が二品くらい必要な……と言う”冷静な”メニューの進行を感じたりもしたのでした。

仔羊のタジン鍋とクスクスのタブレ (agneau de lait en tajine et tablette de couscous)




    冷たいものが続いた後は、”熱いもの”を。
    「仔羊のタジン鍋とクスクスのタブレ(agneau de lait en tajine et tablette de couscous)」。

    暑い時に、敢えて熱いものを食べると意外にさっぱりとする様に、夏の暑気払いの一つとして、グツグツに煮えた鍋(タジン鍋)を食べると、「熱さ(暑さ)」を感じると共に、身体の中から悪いものが発汗して出て行ってくれるような気がします。
    タジン鍋の素晴らしいところは、鍋の中の対流を通じて、具材にしっかりと火が通るところにあるので、思いの他に中の具材は柔らかくなっています。

    アタゴールではトリュフのスープと同様に、一年の内で何回かは食べたくなるのがこの【タジン鍋】と言う事や、今回お会いする方も”グツグツ系”はお好きな方でもあったので、今回のメニューに組み入れて貰う事にしたのでした。

    「タブレ(tablette)」は、所謂、「タブレット」と言う事で、円形のタブレット状のものにした、クスクス。
    クスクスといえば、タジン。タジンといえばクスクスと言う様に、”定番の”取り合わせでもありますが、やはり元々はアフリカ北部を同根にする料理だけに相性は抜群な訳ですが、がっつりとしたスープにきめの細かいクスクスが本当に細部まで絡んで炭水化物の美味しさを優しく膨らませるのが不思議な料理だと何時も感心したりもしています。
    最近は、”本家フランス”でも取り入れられて、結構な定番メニューにもなっている事を考えると、やはり料理の力(美味しいものの力)と言うのは、抗いがたいものであるし、物の東西(クスクスの場合は南北ですが)を問わず、良いものは伝播するの見本の様なものでさへあります。

    が………今回は、少々話が込み入りすぎて(タジン鍋が出てくるのが遅いなとは感じてはいた)なかなかにこのタジン鍋を盛ってくるタイミングが難しかったのでしょう。 支配人の市川氏がこの料理を持って来て蓋を開けると、何時もの様な地獄池の様なグツグツはなく、どちらかと言うと営業が終了した後の地獄池の様な静かな様相が見えたのでした。
    運んできて頂いた市川氏に「あちら(個室では無い普通に食べる方)とは違ってグツグツが弱くなっちゃたね。ごめんなさい話が込み入っていて持ってくるタイミングを外させちゃって」とお詫びすると、市川氏は「列車に入るまではグツグツしていたようなのですが、この廊下に来たらどうもグツグツが弱くなってしまって」と。
    なるほど、巧い切り返しだなと感心したもので、「何度かお持ちしようとしたのですが、お話が盛り上がっているようなので」とすると、”お客様都合で”の様な感じですが、敢えてそう言わないところに市川氏のエスプリを感じた部分でもあった。

    話が盛り上がっている際の料理を出すタイミングと、料理の良い瞬間を出したいと言うせめぎ合いは、良く起こる事でもあるが、そこは状況に応じての【臨機応変さ】と言う事が一番大事な部分でもあろうか。
    特に、今回の様に個室を使う場合には、それなりに会話の内容も微妙なモノが多いのだけに、そこは場の雰囲気が主で、料理が従と言う場合は、逆に高級な店ほど出てくる場面だとは思う。

    出すタイミングを見計らって、何回か温め直したであろうタジン鍋は何時もよりも濃ゆくなっていて、それはそれで美味しかった。
    香辛料の塗された仔羊がゴロゴロと大振りに入っている中に、これまた野菜もザクザクと。
    最初のグツグツを仔羊や野菜にかけながら食べるのがスタンダードな食べかたではあるが、今回の様に【煮詰まった話】に”煮詰まったタジン”と言うのもなかなかにお洒落なものであったと思う。
    時折、クスクスを加えて、レモンの酸っぱさや、ズッキーニの特有の感触を味わいながら、あっと言う間にタジン鍋は空っぽになっていた。

上の3枚の写真の右側のポスターの列車は
シェフの曾村譲司氏も乗車して腕を奮ったE&Oオリエント急行
個室Aは色々と面白いものが一杯!


お口直しのグラニテ (granite de melon d'eau)




    お口直しは、「スイカのグラニテ(granite de melon d'eau)」

    以前とは比べて、大分、フランス料理の中でもスイカを使ったものが顔を出すようになってきていますが、それでもなかなかスイカを加工してある程度のレベルのものになっていくには色々と難易度の高い素材の一つでもあります。
    また、スイカ=夏、と言う結構強烈な方程式もあるので、なかなかにスイカの料理は時期的にも難しいものがあります。
    とは言え、この【スイカ】はワタクシの大好物でもあって、色々とスイカを使っての無理難題を考えていたりもするのですが、その様な企みとは別に、【スイカ】そのものも大好物の果物だったりもします。
    やはり、暑い暑いと言って、道を歩いて辿りついた後に食べるスイカは格別で、炭酸水を一気に飲むとか、クーラの温度を17℃まで下げるとかよりも、身体の中から自然と粗熱と渇きを取り除いてくれる優れものです。
    恐らく、「タジン鍋グツグツ」の後を、”スイカでシュワシュワ~”と言う感じでの”涼を感じる”と言う組み立てであったのでしょう。
    残念ながら、今回は「グツグツタジン鍋」が、話が長引きすぎてしまい期を逸した感じにはなってしまいましたが、今回のメニューの構成と意図を汲み取ると【スイカ計画】があったな?と思ったりもしたのでした。

    当初の計画とは違ったかもしれないが、【煮詰まった話】と”濃ゆくなったタジン”の後をさっぱりとさせて、次のメインへと向かうは、素晴らしい”お口直し”でした。

メイン:馬と鹿のカツレツ (cotelette de cheval et chevreuil)




    メインは「馬と鹿のカツレツ(cotelette de cheval et chevreuil)。野菜ソースとドミグラスソースを添えて。」

    冒頭に触れたように、「御話シタイ旨有リ、近々二」と言うのが、今回の会食のメインでもあったのだが、会食での話の内容が込み入っていて、なかなかに難物な内容である事は連絡を頂いた折の文面から読み取れてはいた。

    とは言え……

    自分にピョートル大帝の様な立場や力があるならば、それを使ったり、それこそ自分が諸葛孔明の様な鬼謀の持ち主であるならば、それを駆使して敬愛する某氏の抱える難題を解決に向かわせる事は造作も無い筈なのだが、生憎、自分の様な者は力や立場はおろか、頭すら覚束ないと言う体たらくで、ただ美味しいモノを求めてガツガツと食べる無芸大食でしかないので何か気の利いた解決策をお話し申し上げるのは難しいとは瞬時に分かった。

    が、しかし……そのまま食事をしてお返しすると言うのも、余りにも無能の極みではあるので、能力が無いならば無いなりに何か気の利いた事は出来ないのかと思案したのでありました。



    」と「鹿(写真の左が「馬」、右が「鹿」)

    (某氏から連絡を頂いたのは、実はたまたまアタゴールに行く日だった)

    先ずは何処でセッティングしようかと言う事に直面したのだが、丁度アタゴールで食事をする日だったので、テーブルに着いたなりに支配人の市川氏に「個室空いてる?」と聞くと、「7月31日は難しいですが、8月1日なら」と言う事で、場所の件はクリアーして、即、連絡をした。

    次に何をメニューにするのか? これが一番肝要な部分だが、某氏とお会いする8月1日迄に時間が無い事もあり、何か特別な素材を取り寄せると言う事は難しい。
    今あるメニューにするか?とも思ったが、日々欝々とされている某氏の事を思うと、何か一工夫してスカッとした気分を味わって貰いたいなとも思ったので、よくよくメニューを見まわしてみると、「馬のカルパッチョ」と「夏のジビエ料理(鹿)」がある。

    馬鹿

    フランス料理はともかくも、和食や日本料理では「馬」と「鹿」を合わせるのは結構ポピュラーな感じではあって、日本人特有の”洒落”と言うか”粋”と言うかの感覚で盛り上がったりもする組み合わせでもあるが、ま、ここは某氏に笑って頂けるモノであれば良いなと言う事で、迷わず「馬」と「鹿」の組み合わせに決めたのでした。
    (東京や横浜では、「馬鹿鍋」と言って、「馬」と「鹿」を味噌で合わせた鍋がありますが、横浜の野毛にある「浜幸」などが有名な処ではありますね)

    ただ、フランス料理ではあるので、日本風に「鍋」よろしくココットで煮込みなども有りと言えばありなんでしょうが、前菜に「タジン鍋」でもあるので、「馬鹿」に「カツ」と言う事で(それこそ禅問答では無いけれど「カツ」は「勝つ」か「活」か「喝」か「渇」か色々と受け取り次第だわなと言う含みも持たせて)、割と料理法もスンナリとインスパイアー出来て、 そんなこんなで、(7月29日にアタゴールで別の食事をしながら)頭の中で8月1日用のメニューも完成してとりあえずはホッと胸を撫で下ろしていたのでした。

    (7月29日の食後)、支配人の市川氏に8月1日のメニューの件をお願いして、その際に市川氏から「馬と鹿はどのようにしますか?」と聞かれたので、「馬と鹿を両方合わせてキエフ風な感じでも良いし、そのまま別個に分けても良いし、とにかく「カツ(cotelette)」でということで曾村氏にお任せします」と言うことで、当日(8月1日)を迎えたのでした。

    そう言う訳で、メニューを頼んだ本人も、当日に何が出てくるのか分からない”ミステリーツアー”でもあった訳ですが、もちろん、お迎えする方が立錐の余地も無い位にキチキチとしないといけない様な場面となるのであれば、事細かにアレコレと指定をしなくてはいけない場面もあるかと思いますが、今回の【主賓】の方には、出来れば【グツグツに煮詰まった】状態から少し飛びぬけてもらえたら?と言う、もてなす側の勝手な願望も入ってはいたので、当日ご一緒するワタクシメも内容を事細かに知らない方が”楽しめるな”と言う部分もあったのでした。

    タジン鍋が下げられてから暫し……
    市川氏がメインのプレートを運んで来てくれました。

    「馬と鹿のコートレット。カツレツですね。グリビッシュソースとドゥミグラスソースを別に添えてありますので、お使い下さい。」

    と来たので、間髪入れず(バ)鹿(カ)」
    「うましかの「」「」」と勢いよく言うと

    某氏も「鹿)」、「馬鹿かぁ」と呵々大笑いをされて、スカッとした顔を見せてくださいました。

    もちろん、これで某氏の問題が何か解決をすると言う訳では無いのだけれども、少しは大笑いをされて気力を回復して頂ければ、それこそ「料理」や「レストラン」としての使い方としては理に適っているかなと。
    (何度か触れてもいるが、「レストラン(restaurant)」には【滋養のある】【健康を回復させる】と言う意味が元々ではあるので)



    そんな感じで、何の能力も持ち合わせないワタクシメではありますが、某氏のお気持ちも少々和らぐ事があったのだとすれば、それなりに御役目も果たせたのでしょう。

    今回のソースは、「馬」と「鹿」に合わせてと言うよりは、それぞれに巧く合わせる様な感じでの2種のソース。
    野菜を主としたグリビッシュも、野菜のちょっとした新鮮な角が刺激的で「馬」の鉄分の多い肉質とも良く合います。
    もちろん、「鹿」も馬同様に鉄分の多いヘルシー素材ではありますが、これまたザク切りになった野菜とまぶして食べるとまだこなれてはいないが、そこまではツンツンとこないビネガーと合わさって「鹿」の肉質の爽やかな部分を引き立ててくれます。

    他方、ドゥミグラスソースの方は、深く深淵な中に甘さを感じる塩梅で、洋食屋さんのドミグラスソースの様な底なしに嵌って行くと言う感じでは無くて、適当な処で深さが止まって上品な感じに仕上がっています。
    この辺は、”好みの”と言う部分もあるでしょうし、「洋食」と「フランス料理」との違いと言う部分でもありますが、やはりフランス料理のシェフが作るとフランス料理となるので、この辺は面白いところ。

    ソースとは別に、馬と鹿の間に黄色く横たわるポムデュシス(pommes duchesse:ジャガイモを絞ったもの)をそれぞれの肉に塗ってたべると、ソースを付けるのとはまた違った、物理的なジャガイモの質感を肉に感じつつ、ポムデュシスのクリームの甘さも感じて、なかなかに楽しませてくれます。

    「料理」は美味しいと言う事が第一の本義であって、それ故に後世まで残るものです。
    しかし、料理と言うものが人間の崇高な営みの一つを飾るものであるとするならば、それに「お話(エピソード:episode)」と言うものが付くと言う事も大事な要素になるでしょう。
    曰く「誰々が食べた」、「誰々がどの様な場合に食べた」…….etc

    それは、あたかも茶碗や陶磁器などで、「織田信長が使った」とか「ポンバドール婦人が使った」などと言うモノがあれば、もの凄い価値を持つようなものでもありますが、「料理=食事」の場合には、器の様に【形に残らない】と言う部分での大きな差がある訳です。
    無論、今は食べたモノの内容を味気なく文字で記すにとどまらず、この様に写真付きで残る時代になったので、【形無き】と言うのとは少々異なった感じにはなってきていますが、やはり【その時食べたモノをそのまんま味わう事は出来ないシロモノ】と言う点は(将来、分子レベルで構成が一緒などと言う時代にならない限りは)変わらない事でしょう。

    だからこその【一期一会】を「料理」の場に見出してしまう訳ですが、茶の湯・茶道も同様に、器や抹茶・菓子・懐石などを通しての主題を追求する点では、「料理」と似ている様な気がしますが、いささか作法や点前と言う点での縛りや、所作に伴う物理的な制約等を考えると、単純に「料理」と言うフィールドの方が自由度も高く、伝えたいことを伝えやすい様な気はします。
    (別に、茶の湯・茶道とフランス料理を比較する訳では無いし、フランス料理でも器が食器がとやかましくしようと思えば切りがないし、食材やメニューに関しても「かくあるべき論」となれば、それはそれは窮屈なものである事は茶の湯・茶道に引けを取らないのだが、強いて言えば、茶の湯・茶道には「家元」なる【かくあるべき論】の元締めがあるのに対して、フランス料理には【かくあるべき論】の元締めは(一応)いないと言うのが一番大きい事かもしれませんね。そういう意味で、今のフランス料理は(色々と物議は醸すような事もあるけれど)自由闊達な部分を感じてとても素敵な気はします。

    閑話休題 (それはさておき)

    今回ご一緒した某氏が、大成した暁に、「そう言えば、かつて難事に直面した際に「馬と鹿のカツ」を食べたなぁ」などと思いだして頂いて、「そうだあの時食べたカツレツを”次郎丸”いや”太郎丸”にしよう」などと言って頂ければ、後世に(何故か)「馬のカツレツ」を”太郎丸”、「鹿のカツレツ」を”次郎丸”と呼ぶようになるかもしれません。

    後世、「難事に直面した際に食べるカツレツを【cotelette a la Taroumaru-Jiroumaru】(太郎丸-次郎丸風カツレツ:別名馬鹿カツと言う」などとモノの本に記載される様になれば大いに幸せな事だと思ったりもするのです。

    上でもちょっと触れましたが、大いに笑った某氏が、この「馬鹿カツ」をどのように受け止めなさったかは知る由もない所ですが、しかし、(日本語とは大変に便利なもので)「カツ」の意をどのように解するのかでこれまた色々な意味に取れると言うのは、フランス料理ではあるものの”日本のフランス料理”の特権でもあるのでしょう。

    そんな面白いメニュー構成が出来て、かえって自分の役得では?などと思ったりもした「馬」と「鹿」の一品でもありました。

「鹿」はジビエの代表で秋から冬が旬とも考えられるけど
【夏】の「鹿」は逆に脂肪分が薄く筋肉質なので
【秋・冬】の「鹿」よりもかえって好みだったりします

デセール:パッションフルーツのクリームブリュレ (creme brulee de grenadille)




    デセールは「パッションフルーツのクリームブリュレ (creme brulee de grenadille)」。

    今回、メニューとして予めお願いしておいたのは、「タジン鍋」と「馬と鹿のカツレツ」だけで、その他のモノは通常のメニューから、乃至はある意味お任せと言う具合でした。
    事実、最初のアミューズの「鮎」は(サプライズな)お任せで、前菜のスープは「トリュフのスープ」と「トウモロコシのスープ」との選択で、デセールも通常のメニューから選択をしようという算段だったのですが、市川氏が「パッションフルーツのクリームブリュレもあります」と言う話で、(3日前に来た時には無かったので今日の為に特別にあつらえてくれたかな?)とも思ったので、これを食べない手は無いなと思い、それをオーダーする事にしたのでした。

    意図は見抜かれていたかな?……

    今回の食事会の【隠された主題】は【冷静】と【情熱】の間で

    「鮎のスープとベニエ」:【冷製】と【温製】
    「トリュフのスープ」:【冷製】
    「タジン鍋」:【温製】
    「スイカのソルベ」:【冷製】
    「馬と鹿のカツレツ」:【温製】
    「パッションフルーツのブリュレ」:【冷製】

    が………「パッション(情熱)フルーツ」は【温製】………

    こうして、改めてメニューを振り返って観ると、巧妙に【冷】→【温】→【冷】→【温】と繰り返されています。
    メニューを頼む側としては、「スープ(正)」「タジン鍋(反)」からの「カツレツ(合)」と言う流れでの【冷静と情熱】を表そうかな?位のものでしたが、ここに【情熱】と言う名前を持ったデザートが入ることで見事な並び順に整えてしまったのでした。

    今回、会食の準備には時間も無かった事もあり、急ごしらえの感はあったのですが、最後のところに「パッション」が入る事でメニューが更に高尚な調べを奏でるのは、流石に熟練のプロの技でしょう。
    改めて、曾村シェフの技量と慧眼に感じ入った One Piece でもありました。

    赤い砂糖のカラメルに閉じ込められた”パッション”の開放と、同じくカラメルの上に乗っているパッションフルーツのアイスクリームが溶けて混ざり合う瞬間が重なる時、実はこのメニューの真の目的に到達したような気がします。

    目の前の某氏は、大分、ご機嫌麗しく、先日来より上野の杜で開催されている三国志展のお話などをしてくださり、丁度自分も観に行こうかどうか思案していた折、どのような内容かを聞き及ぶにつけ今回は見送ろうと言う気持ちになったものの、お互いに話に熱を帯び、

    江陵の劉度の部下である刑道栄の小物ぶりや

    鳳統の地方での行状を予測する諸葛亮の話

    献帝と伝国の玉璽を管理する符宝郎の話

    などなど、まるで孔明の罠にかかったかの様に、吉川英治の三国志の話で時間が過ぎるのも忘れて盛り上がったのでした。
    (ちなみに、某氏もワタクシメも北方何某の「三国志」や「水滸伝」は受けつけない性質だったりもする。)

プティフールと珈琲 (petits four et coffee)




    最後のプチフールは「チェリージブレとアイスクリーム」
    (このチェリージブレも【温】、アイスも【冷】)

    気が付けば、既に時計は23時を回っていました。
    某氏もワタクシメも翌日に仕事がある窮屈な身であると共に、一時前までは賑やかな人の声がした車両も静かになっていました。
    他に盛り上がっているお客さん達もいないで我々が長っ尻をしていると店仕舞いにも響きます。
    色々と話も盛り上がり、語り尽せぬ事に後ろ髪を引かれながら、今回はこの時分でお開きとすることにしたのでした。

    市川さんを呼んでお会計をして、アタゴールの外に出て某氏と二人、木場の駅に向かうと、既に電車もまばらと言う時刻に差し掛かっていました。

    今回の食事会で何が出来たのか?と言えば、少々心許ない気はするものの、終盤、某氏が「馬鹿笑い」をしているのを見ると少しはお役目を果たせたのかな?と思うと、ちょっとした安堵感を覚えて、某氏にご挨拶をして乗り換えの駅を下りたのでした。