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2018年10月15日:一つのメルヒェン【森鳩のショーフロワ】@A ta guele (アタゴール)

    木場のアタゴールでお願いをして色々と作って頂いて3年近くが経ったある日の事、ちょっと思うところがあって、”ショーフロワソース”を使った料理を食べたくなったので、特にお願いをして作って頂く事にしました。素材や構成は曾村氏にお願いをして、兎に角、”ショーフロワ”を組み込んだメニューを食べたいというのが主たる目的のコースを作って頂いたのでした。

アミューズ:秋刀魚のニース風 (sannma nicoise)



    アミューズとして「秋刀魚のニース風(sannma nicoise)」。
    【ニース風】は、主に南仏のニースやカンヌ、などの地方の特徴を持つ料理で、トマト、にんにく、ケーパー、オリーブ、アンチョビやイワシ、鮪などを使った料理の事を指して、サラダ(ニース風サラダ)やスープ(ニース風スープ)などが有名ですが、、 地理的にも歴史的にも、イタリアに近いと言う事もあってか、フランス料理ではあるけれどもイタリア料理に近い感覚のものでもあります。
    今となっては【フランス料理】とイタリア料理とは違うものですが、昔はイタリアの方が文化や料理の先進国でもあって、メディチ家のカトリーヌ=メディシスがフランスに嫁いで来て、フランス料理の基礎が形作られてきます。
    そんな事もあってか、フランス料理の中には、結構イタリア風のものや、イタリアの素材を使うようなものも散見出来たりしますが、ここは非常に面白いところですが、フランス料理の人が作ると、やっぱり【フランス料理】のテイストになるのが不思議なところでもあります。
    無論、最近のご時世を考えると、それこそ食材や技法の相対化・ワールドワイド化からしたら、ある種のフュージョンはトレンドなのかもしれませんが、”何処まで崩すのか””どこまで保持するのか”と言うのは、それぞれの料理をする人の【美意識】によるところの様な気がします。

    鰯では無い”秋刀魚”にヨーグルト風味のソースと、ビーツや蕪と言った独特の食材が、「和風」とも「無国籍風」でも無く、ちゃんとしたフランス風の骨組みと味になっているのが【曾村風】とも言うべき一つの表現でしょう。
    魚介類にヨーグルトと言うのは、結構、思い付かない組み合わせでしたが、爽やかな酸味が魚特有の生臭さを巧く補ってなかなかに美味しい一皿でありました。

前菜:森鳩のショーフロワ (chaud-froid de palombe)



    前菜には早々に今回のメインとも言える”ショーフロワ”が運ばれてきました。「森鳩のショーフロワ(cahud-froid de palombe)」。
    ショーフロワの料理を食べるのは、多分、自分の記憶の中では2回目の事だったかと思います。
    1回目は、皆良田氏による「クラブデトラント仕立てのショーフロワ」。(皆良田氏のショーフロワについてはこちらも
    そして、今回の曾村氏による「森鳩」が2回目になります。
    このショーフロワについては、相当昔、それこそ6歳とか7歳位の事だったと思いますが、その辺くらいから興味を持っていたものの一つでした。
    「家庭画報」か「主婦の友」かは忘れてしまいましたが、母が持っている料理本の扉絵に綺麗な茶色いゼリーがかかっている料理が載っており、非常に興味を覚えたのです。
    それは、何か宴会か何かのサンプルとして載せられたものだったのでしょう。非常に大きな鶏に茶色いソース、魚に白いソースがかかったものでしたが、その内容や料理法についての説明は無かったので、それが何かを知る事は出来なかったのです。
    その後、色々とフランス料理関係の本を読むようになって、先述のクラブデトラントのショーフロワに行きつきますが、この時点では未だ幼少期の茶色いソースと同じものだとは気が付きませんでした。
    この茶色いソースがかかった料理(白いソースがかかった料理)が”ショーフロワ”だと認識したのは、クレイグ=クレイボーンの本を見た際の古典的な宴会料理の例として出されていたモノを見た時まで、初めて認識した時から遙かな時が経っていたのです。
    実は、「ショーフロワ」と言う言葉自体は、もっと前に認識していた言葉でもありました。
    それは、辻静雄がレストランピラミッドのマダムポワンと会った際のあれこれの中で「フォアグラのショーフロワ」を辻静雄が初めて食べるシーンの事で、辻静雄が初めて食べるこの不思議な料理の事を興奮気味に書いている一コマでもありました。
    これは「フランス料理の手帖」に記載されているエピソードですが、それこそ当時はこの本を枕元に置き、日々愛読して本の中の科白まで覚え込むような感じですらあったのですが、そこから暫くしてクラブデトラントの本を見てショーフロワの文字を見て、直ぐには結び付かなかった事を見ると、如何に自分の頭の回転が良くないなと言う事と、この時には美食の神様がワタクシがショーフロワを食べる時機では無いと言う判断だったのでしょう。

    そんな色々な事があった「ショーフロワ」なのですが、今ここに、昔見た”宴会料理的”なショーフロワが目の前に顕現したのでありました。

    今回、曾村氏はこともなげにこのショーフロワを作ったらしいのですが、支配人の市川氏も、曾村氏が今までショーフロワを作ったのを見た事がなかったらしく、「何処でやっていたのかは分からないのですが、軽々とやっていましたねぇ……多分オークラの修行時代ですかね?」という事を言って厨房に引き揚げて行きました。
    なるほど、”オークラ出身の人はいとも簡単にやってしまうのかぁ”と思うと共に、日本のホテルのレベルの高さを伺い知るような一瞬でもありました。
    ”オークラでショーフロワを”の真相はともかくも、曾村氏が何でも出来てしまうと言うのは、これまた事実な訳で、自分で独立してレストランを持ち、しかも高い評価を得る様なシェフの底力には計り知れないものがあります。

    兎にも角にも、目の前には幼少期に見た料理本のショーフロワがお目見えしたのでした。



    森鳩の野性味あふれる味に森鳩のフォンで作ったショーフロワソースが合わさって行きます。ある意味贅沢な冷製コンソメスープとも言えるかもしれないし、森鳩にコンソメの衣で更に味を濃くしているとも言えます。
    そして、黒パンのパンデピスとサワークリームをちょっと硬くした付け合わせが、このジビエ二重層的な味わいに奥行きと爽やかさを加えてくれます。
    「パンデピス(pain d'epis)」とは香草や香料を練り込んだパンの事をさします。黒パン独特の麦の味と舌に感じる、香料とサワークリームの刺激が、まるで「森鳩」がさえずっているかのように口の中でコダマします。
    「森鳩」と「黒」と言うのは、それこそフランスの世界と言うよりは”シュバルツ”、”シュバルツバルト”と言ったドイツの森林のイメージに繋がるところでしょう。
    周りの色とりどりのクーリ(coulis:ピュレの事)が、またカラフルでちょっとしたメルヒィェンを表しているかのようです。

    「メニュー」には”物語がある(物語を感じさせる)”と言うのもまた料理文化において結構重要で大事な要素だと思います。

白神山地の天然キノコのチャウダー エスプーマ仕立て (chowder de champignion de SIRAKAMI en espuma)




    続いての前菜としての「白神山地のキノコのチャウダー エスプーマ仕立て(chowder de champignion de SIRAKAMI en espuma)」。
    アタゴール(A ta guele)では、良く、白神山地のキノコを食べる機会に恵まれます。
    【茸】は森の精が凝縮したものと言う考え方を日本ではしたりもしますが、本当に只の【菌類】でしかない茸の美味しさが何処から来るのかは人類の食文化の謎の一つでしょう。
    肉厚で傘が分厚い茸をたっぷりと使ったチャウダー(クリームスープ)は、体の芯からホカホカしてきて、それこそ「森の中での暖を取る」ような気持ちにさせてくれます。
    温かいスープにしっかりとした茸の山盛りに、秋深く冬の入り口の様な淡雪のエスプーマが、また抒情を奏でてくれています。
    【茸】と言うと、これまたドイツ的な感じもしますが、「ヘンゼルとグレーテル」の【お菓子の家】が想い起こされて、ますます今回のメニューには”メルヒェン”が実は流れているのかしらん?などと曾村氏の魔法の意図を考えたりもするのでした。。

    こういうしっかりとしたものを食べると、【茸】単体での骨太なメニュー構築に挑んでみたくなりますが、(これを書きながら改めて気づいたのは)実はそんなに【茸】に詳しくないと言う事でもありました。
    まぁこれから色々と【茸】の事を勉強したいとは思います。

お口直しのグラニテ (granite de menthe de KAMAKURA)




    お口直しは、「ミントのグラニテ(granite de menthe de KAMAKURA)」
    鎌倉野菜の味の濃さは本当にびっくりするのですが、緑の土地が無い東京砂漠からちょっとの距離のところにこんな豊かな生産地があるのも面白いことで、それこそ「メルヒェン」でさへあるかの様な不思議さを漂わせてくれます。
    「ニソワーズ(冷製)」→「ショーフロワ(冷製)」→「チャウダー(温製)」と来ての「グラニテ(冷製)」。
    キンキンに冷えたミントのシャーベットが口をリセットして次のメインの到来を待ちます。

メイン:森鳩のロティ 山葡萄の香り (palombe roti parfum de YAMABUDOU)




    メインは、「森鳩のロティ 山葡萄の香り(palombe roti parfum de YAMABUDOU) 」。
    今回の”メルヒェン?”のクライマックスでもあります。
    山の恵みの一つである”ジビエ”。当然、森鳩もその中に含まれるジビエです。
    「ショーフロワ」の際にはさほど感じなかった獣臭さが、今回は前面から登場してきます。
    猪とも鹿ともクマとも違う、野生の鳥の脂や肉や血の匂いと言ったものと、これまた山の恵みの山葡萄とムカゴの組み合わせ……
    本当にジビエに合うソース、引き立てるソースを作りだすと言う事は、そうそう簡単な事ではないでしょう。
    一定の修行を積んだ人達が、そこからまた自分の意図や美意識などを総動員して更なる高みを目指して洗練させた結果はじめてこの様な料理やソースを作ることが可能になる。
    いや、むしろそれは”可能になる”と言うよりは”許される”とでも言うべきものでしょうか。
    食べ物を出来るだけ美味しく料理すると言う事に加えて、更に「美」を発露させる……それは、付け加えていくのか、重なり合っていくのか、それとも一発勝負として湧き上がるものなか……それはその人それぞれの”在り様”とも関わってきます。
    【料理を魔法】と言って差し支えないのであれば、”料理はまさにメルヒェン”であるし、料理人は【魔法使い】と言う事になるでしょう。
    そして、料理の出来映えは、その人がどの位の魔法使いかと言う事に左右される訳です。
    それは、第一義的には「味」であろうけれども、二義的・三義的には、「造形や美しさ」、「思想・意図」と言った様々な原理を包含する複雑かつ精妙な古人が積み重ねてきた”体系”とでも言うべき膨大な質量を誇る[世界]なのだと言う事かと思います。

    ”一つのメルヒェン?”それは、料理を表す形容として本質を突く一つのものであると思うのです。

素材や技法と言う現実に
どんな意図を盛り込んで何を実現するのか
まさに、メルヒェンであるし【魔法】そのもの

デセール:自家製マロングラッセのクリームブリュレ (creme brulee de chataigne a la maison)




    さて、デセールは「自家製マロングラッセのクリームブリュレ (creme brulee de chataigne a la maison)」。
    やはり、秋の森の恵みのデセールと言えば、何といっても「栗」でしょう。
    秋の味覚は「柿」も「栗」も渋みの中の甘さを味わうと言う点が非常に気に入っていて、夏の酸味とはまた違う世界を構築しています。
    やはり収穫の秋と言う事からか、どちらかと言うと穀物の味を備えた甘さとでもいうべきでしょうか。
    ずっしりとした質量のある自然界の甘み(正)を、砂糖やクリームなどのまた違う甘み(反)でコーティングしていくブリュレ……そこは、自然の恵みに人間の知恵が合わさって新しい世界へとアウフヘーベン(止揚)する世界……

    ブリュレと一緒に出てきた、ちょっと濃い目のコーヒーのアフォガードを飲みながら、アウフヘーベンすると言うのも結局は【魔法】だったり、【メルヒェン】だったりするのかしら、などと思う秋の夜長。
    日頃とは違う着想にいざなわれるのも、何か面白いのですが、そう言えば、「栗」といえば、日本の宮沢賢治の話の中でも助けられた山男が「栗を一斗」お礼に持ってくる話がありましたが、かように「栗」は【おとぎ話】に良く似合う気がするものの、流石に宮沢賢治でフランス料理を考えると言うのは、未熟者のワタクシメにはまだまだ修行が必要と言う事だけは言えるような気がしたのでした。

プティフールと紅茶 (petits four et the)




    ”ショーフロワ”を頼んで、まさか【メルヒェン?】を感じるメニューになるとは、なかなか料理の世界は奥が深いのでしが、それもまた、シェフである曾村譲司氏の類稀なる技量のゆえでしょう。
    食後のプティフールは「洋梨とタピオカのコンポート(compote de poire avec perle du Japon)」。
    森の収穫物とも、草間彌生を彷彿させるオブジェ的なものとも思わせる、「南瓜」とオレンジ色の「細工モノ」が、これまた何かの謎かけをしているかの様です。

    「次は何を食べようかな?」

    と思うと、(メニューを考える際に)きっと沢山の扉をくぐる事になって、「塩」をとか、「壺からクリームを」とか色々な事が出て来るのかしらん???などと思うにつけ、残念ながら自分は狩猟三昧の貴族院議員では無いので、最後に顔がクシャクシャになって戻らない事はないな、などと思って、安堵しつつ、 【注文の多い料理店】の様なメルヒェン溢れる着想はやっぱり浮かばないやと思って、これまたメルヒェン溢れる青い列車のアタゴールを降りて、タクシーを拾って家路へと向かうのでした。