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2017年05月22日:日に新たなり【蛙のミルフィーユ】@A ta guele (アタゴール)

    1年に一回は食べたくなる”蛙”……そんな訳で今年の「蛙料理」はどうしようか?と悩みつつ、何時もお世話になっている木場のアタゴールに「ある事」をお願いしたのが今回。

アミューズ:長良川鮎のコンソメ 



    最初のアミューズは「長良川のコンソメ」
    ここアタゴールでは、5月~8月位の初夏から夏場にかけてメニューに載ってくる美味しい一品。
    鮎の骨を炙り、コンソメを引くのはフランス料理の技法だけれども、何か懐石の出汁にも通じるところがあるのは、素材が「鮎」という日本の淡水魚だからでしょうか。
    【黄金色】の形容されるコンソメですが、獣や鶏のコンソメよりは少々優しめの色をしたコンソメは、やはり控えめで優しいコンソメで、【cool Japan】と言う風体を味わう”日本のコンソメ”でも言うべき一品。

前菜:サマートリュフのパリソワール仕立て



    まさに”定番中の定番”のスープである「サマートリュフのパリソワール仕立て」
    今回のパリソワールには、ホワイトアスパラガスを浮かべ、クリームの合わせ方や、夏トリュフも白い部分でかけあわせて、全般的に”白”という基調での仕立てになっています。
    ホワイトアスパラガスの柔らかい縦に切れる優しい繊維質の食感と、同じく柔らかい絹の様な滑らかな舌触りがまるでブルーテスープ(veloute)の様で、技ありの一品。
    本当に、このパリソワールのある時期のアタゴールでは、こればっかり頼んでしまうので、何回飲んだのか分からないですが(手帳を辿れば分かるが)何時何回飲んでも再度飲みたくなる正真正銘の”美味”
    中華料理・中国語で言うところの【名菜】と言う表現があるけれども、その字義通りの方が意味が分かり易い、まさに【明菜】。

    ちょっと甘めのクリームに、濃い目の冷たいコンソメ、アスパラ特有の甘いような草の様な味をトリュフが包む瞬間は、その素晴らしい味もさることながら、【日本的幽玄の美】へと誘われる事でしょう。

前菜:蛙腿肉のフリカッセ




    ”今年の蛙”その壱は「蛙腿肉のフリカッセ」
    【蛙料理】と言うと、今は亡き「ベルナール=ロワゾ―」が頭に浮かびます。
    残念ながら、ロワゾ―自身の作った料理を食べる機会を得る事はありませんでしたが、その考え方から評される「水の料理」というのは、当にこの【蛙】に合致するとも言えるでしょう。
    (ロワゾーゆかりの方の作った料理は、やはり透明感と言うか、「水」との関わりを意識した雰囲気のものが多いですね)

    今回の【蛙】はフリカッセ(fricassee)、フリカッセとは肉に小麦粉をまぶしてから、それをぶつ切りにして炒めて、白い系のソースで煮込んだ料理を指します。
    【蛙の肉】は分類的には「鶏肉」や「魚」と同じ分類に入るので「白い系のソース」を合わせるのが定番ですが、今回のソースは、濃い目のサフランソースを下に敷いて、【蛙】、その上に濃厚なオゼイユ(スカンポ)のソースが被さっています。

    この琥珀色に白と濃い緑の色調も素晴らしいのですが、やはり特筆すべきはその味の重ね合わせの妙でしょう。
    淡白な【蛙】ゆえに、濃い目のサフランのむせ返る様な独特の匂いと甘さ、オゼイユの苦みが合わさると、この「淡白さ」がかえってそこだけ切り取られて浮かび上がります。
    淡白なものには繊細にと言うのがロワゾ―流かと思いますが、対して、淡白なものに濃厚なものをぶつけるのが曾村流と。
    どちらも【蛙】という独特の食材にどのような光をあてるのかと言う問題であり、両者ともに”正面から”【蛙】に取り組んでいて、どちらもありだと思うのですが、面白いのがロワゾー流の方が水墨画・墨絵の様に淡い世界の中で、如何にその繊細な【蛙】を表現するのかと言う事を指向しているのに対して、曾村流は、新古典派・ロマン派の様に強烈な光や色調を重ねる事で繊細な【蛙】を浮かび上がらせるという指向を感じ取れて、フランス人のロワゾー氏が和風、日本人の曾村氏がフランス風と言う”たすき掛け”の様にクロスした感じになっている事に”妙”を感じたりもするのです。

    【洋の東西】と言う表現は日本の表現なのかと思いますが、この【洋】の混ざり合いやクロスの動きを経て、料理が進化していく事を感じれるのは、それこそ「音楽」や「美術」と同様に「料理」の”特権”の一つでもあるのでしょう。

    改めて、この「蛙のフリカッセ」を振り返ると、ただ美味しいという事を超えての何かを感じ取る事が出来た一品でもあったのです。

お口直しのグラニテ:ラベンダー




    お口直しのグラニテは「ラベンダーのグラニテ」
    グラニテは、次の料理への橋渡しとして、前の料理の余韻を消すという重要な役割を持ちますが、”ラベンダー”には「洗う」という意味もあり、二重の意味でリフレッシュの意味があるグラニテになっています。
    ラベンダーの独特の芳香を閉じ込めたグラニテは、良くこんなものが出来るなと感心するのですが、あの鮮烈な”紫”では無く、どちらかと言うと石英の”白”の様な感じに変化するのも面白いものです。

メイン:蛙のムースのサンドイッチ 




    メインは「蛙のサンドウィッチ」

    今回お願いした「ある事」というのは、【蛙】をサンドイッチで食べたいというものでした。
    考えれば、かなり無謀なおねがいでもあった訳ですが、昨年頂いた「蛙のカレー」の余りの美味しさと素晴らしさから、通常ある【蛙】の料理の品々とは別に、【米】や【パン】の様な日常に食べるものとの繋がりで何か料理を食べたくなったのです。

    ”素人”の単純な妄想からすると、「白いサンドイッチ用のパンに蛙をフライにした様なモノか、しっかりと煮締めたモノとかが挟んであるかも」という程度の考えだったのですが、現れたサンドイッチは、その予想の斜め上を行く素晴らしいものだったのです。

    「ライ麦パンにムースにしたとマスタードを挟みました。」とは何時ものアタゴール支配人の市川氏。
    「付け合わせに、スペイン産の甘いトウガラシのジャムもご利用ください」とも

    目の前に風車の様に置かれたサンドイッチの涼風に吹かれ、先ずはお一つ。
    見ようによっては、流れるさざれ石の上を蛙が三匹佇んでいる様にも、飛び移ろうとしている様にも見えて、どれを食べようか悩んでしまいます。

    ライ麦パンの柔らかい食感に、蛙のムースのふんわりとした感触が重なって、特に【蛙々】はしません。
    すり身の様ともハンペンの様とも、やはり【蛙】は蛙なのですが、カエルの優しく繊細な味を活かすためにもムースの味付けは薄め。
    そう言う事で、「マスタード」で下味と言うか、カエルの味をはっきりさせるためと言うかで補正がしてあります。
    ここで、「トウガラシのジャム」を付けると、一点辛い中に独特の甘さが広がって、さっきよりもカエルを良く感じる事ができます。
    そして、もう一つ、付け合わせの”薬味”として「干しレーズン」がついてきました。この干しレーズンと、先ほどのトウガラシジャムとマスタードが合わさると、あら不思議、【蛙】のスッとした一本の脚(腿の味)が現れて参りました。

    「ムース」になって姿形の見えなくなった【蛙】が、呪文を唱えると姿をニョキッと現してくる……そんな”見事”な【不思議さ】がこの料理も持ち味とも言えるでしょう。

    「蛙は何処から来たのかな~~♪」とか
    「蛙は何処で買えるのかな~~♪」とか
    「蛙は何処で孵るのかな~~♪」とか
    「蛙は何処に帰るのかな~~♪」とか

    カエルのサンドイッチの不思議な魔術にかかっていると、付け合わせで、と市川氏が「グラタンフィノワ」を持って来てくださいました。
    ハーブが練り込まれた「フィノワ」はこれまた牛乳とジャガイモの優しい味にプラスして気持ちを高揚させてくれて、「蛙ぴょこぴょこムピョコピョコ」などとあらぬ事を口走ったりもしていたのでした。

チーズ:3種のチーズ 




    この日は、珍しくデセールに甘いものと言う定番中の定番を止めて、「チーズ」の盛り合わせを取る事にしました。
    【カエル】の魔術のせいではないでしょうが、何やらこの時は口が甘いものではなくて、”発酵系”のものを欲していたのです。
    普段とは違って「サンドイッチ」だったからでしょうか?
    チーズの塩っ気とクリームの加減が、先ほどの【カエル】と合流して、何やら再度の余韻を楽しんでいるようです。
    「青カビ」のきめ細かい灰色と青い部分を舌先で味わいつつ、やっぱり「青カビ系」のチーズの方が、普通のチーズよりも好きだったりするのは、【カエル】と同様のそのエキゾチックな模様のせいかしらん?などと、まだまだ「蛙のサンドイッチ」の効果は続いているかのような事を楽しくしゃべっていたのでした。

プチフール:ベリーとヨーグルト 




    サロンカーに移っての食後のプチフールは「ベリーとヨーグルト」とコーヒー
    今日は、「鮎」から始まって、「クリームの池に浮かぶホワイトアスパラ」、「蛙の力強いフリカッセ」そして「カエルの魔法のサンドイッチ」……
    どれもこれも非凡なもので、素晴らしい品々でした。
    ”淡い”と形容される素材をどの様に扱うのか……食べる自分は好き勝手な事を言い、それを美味しく食べるのだけれども……この”淡さ”を「淡く」「力強く」と一見矛盾するようなベクトルをまとめて料理と言う”形”に具象化するのは並大抵の事ではないな……ということを改めて認識した5月……

    改めて、【料理人】という人々は”変化の術を持った(会得した)”【魔術師】なのだろう……と素朴に想う木場の夜だったのです。


元々「料理人」は【医者】と同じ役割を果たしていたんだよね
(フランソワ1世の時代より)