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銀座:2019年07月14日:グリルスイス


    数年振りに友人と会う事になったので、どこかで食事でもしましょうという事になった。
    お互いの交通の便の事を考えると”銀座”辺りが適地であったので、銀座周辺での店選びとなったのだが、こう言うと何だが、実は銀座の土地勘は余りなかったので、なかなかお店選びは難航しそうだったのだが、余りあれこれ悩んでも仕方が無いので、単純に自分の興味のあるお店で食べようと肚を決め、相手の方に打診したところ【OK】とのお返事を頂いたので、そのお店に行く事に決まったのだった。
    お店の名は「グリルスイス」と言う。

    (左)グリルスイス入り口(中央)付け合わせのスープ(右)お冷




    実は、このお店はかねてから行ってみたいお店の一つではあったのだが、何分に銀座界隈に用向きも少ない事もあって、それこそ”何時行けるのやら状態”だったのだが、それこそ、今回、友人と会うという事でも無ければ行く機会も無かったかもしれない。
    食事処との巡り合いは得てしてそんな偶然の積み重ね(【奇縁】)によるところが大きいだろうと今更ながら思うのである。
    参議院選挙真っ盛りの銀座は、政権与党の女性候補の声が歩行者天国中に鳴り響いている所でもあって、少々の小雨もあってか、そのカラーである赤色がやけにインパクトに残るものでもあった。
    銀座三越のライオン前で待ち合わせをして友人を待つ。
    待ち合わせ時刻数分前に現れた友人との再会を喜び、目的の場所へと向かった。

    銀座を歩き慣れている人であれば、直ぐに場所も見当がつくのかもしれないが、何分に銀座は不案内と来たので、途中、ヴィトンで装飾された松屋銀座近くの住居表示版で地図を確認して辿り着いたのだった。
    今のご時世は、スマホでスッスッと言う時代かも知れないが、生憎、どこまでもガラケー主義なので目的地まで行くのには、住居表示の掲示板がとても助かるのである。
    そんな”That's Old 営業 昭和の照英”のCMの方に親近感が湧く【古典派料理】大好きな者としては、この「グリルスイス」の入り口はまさに貴重な昭和の遺産の様にも思えた。
    店に入ると、ギリギリ我々の分の一卓が空いていて、なかなかラッキーであった。
    (店を出る際には、結構な人が並んでおり、店内も満席であった)

    千葉さんのカツカレー




    注文は【千葉さんのカツカレー】一択。
    今日はこのメニューのためだけに来たと言っても(自分は)過言ではなかった。
    日本人ほど、カレーが好きな国民はいないと言われているが、それこそ西洋の文物である「カレー」と「カツレツ」を一緒にしてしまうなどと言う事は、流石の欧州人も考え付かなかったのだろう。
    (インドはないですね。宗教上、豚や牛がハードルになるでしょうから。)

    料理の由来・来歴は、料理に関わった人名がついている場合には、その人物を尊敬して名付けられたか、その人物が発明したかのどちらかの場合が多いが、今回の「千葉さんのカツカレー」は、両方を兼ね備えた場合にあたるだろうか。
    巨人軍の選手である【千葉茂氏】が、試合の前のゲン担ぎ(栄養補給?)に「カレーにカツを乗っけてくれ」と言う一言で生まれたのがこのカレーであるから、まさしく”料理の産みの親”と言う事になるのだろう。
    【古田織部】の故事にあるように、必ずしも自らが制作にあたる必要は無く、その着想や指示をする事で後世に名を残していく事はあるのである。
    このカレーは、まさにその好例の一つであろう。

    そして、何時の日か自分の名前の冠した料理が何かに(フランス料理に)残らないだろうか……と秘かな野望を抱いたりもするのである。

    千葉さんのカツカレー 断面



    さて、肝心のお味の方は、カツも揚げたてでカラッとしており、なかなか。
    また、カレーはインド風とも欧風とも若干違うテイストだったが、洋食屋と言う事もあって欧風の色は濃い感じであった。
    とは言え、「ご飯」と「カツ」と「カレー」のそれなりの緊張感ある配置は、野球選手をして試合前に力を漲らせるに足る内容だと思う。
    何処かの【演劇プロジェクト】では無いが、”名物にそこそこ旨いモノあり”と言う感じではあろうか。

    周りを見ると、やはりこの「千葉さんのカツカレー」を頼んでいる人が多い様に思われた。
    野球選手の一言で誕生したカレーは、時を超え、世代を超えて”名物”となった。
    「子孫に美田」では無いが、【食べ手が作り手に贈った美田】でもあろう。

    ワタクシもかくありたいと想いつつ、次のフランス料理のメニューを考えるのであった。