それはもちろん子どもの時の記憶でもあるのだが、もう一つ強烈な思い出として大学生の頃、合宿が山口県であり、その帰り途、そこから帰省する組と、東京に帰る組とに分かれて、たまたま東京に帰る組だった自分ともう一人と先輩との3人で新幹線で帰る事となった。
その時、駅名は覚えていないが、新山口(?)かどこか兎に角、新幹線に乗って直ぐに先輩がビールでも飲みたいという事で、食堂車に行く事になったのだが(当然、自分ももう一人も、”お供”をするという、ある意味【That's old 営業】”昭和のスタイル”が当たり前の時代でもあったので、先輩が行くと言えば問答無用でついて行く時代もあった)、
何と、そこからほぼ東京まで数時間、この新幹線の食堂車の一角を占領してあれこれと頼み続けていた事を思い出すのである。
今となっては「化石化」しつつある”昭和のスタイル【That's old 営業】”は、「先輩が行く」と言えば、付いて行くことは仕方が無いのだが、その分、そこでの払いや何かは「先輩の負担」という”論理”をも内包していたのであり、この時も、”この先輩”がお一人で新幹線の飲み喰い代を払って下さったのである。