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東京駅グランスタ:2012年04月02日:日本食堂


    東京駅に【グランスタ】なるお洒落なものが出来た事を知ったのは、2011年位の事だったか、当時、房総方面に仕事で行く機会が多かった事もあり、「特急わかしお」で食べるちょっとしたもの(「焼き鳥」が多かったが)を買いにフラフラとしていてこんなモノが東京駅に出来るのかと思ってもいた。
    当然、弁当屋だけではなく、飲食店もあるわけでその並びに、かつて新幹線で見た「日本食堂」の文字を見て嬉しくなったのを覚えている。
    特に、自分自身は【鉄道マニア】という事は無いのだが、(食いしん坊ということだとは思うが)「食堂車」には興味がある方で、その原点はやはり若かりし頃の新幹線の食堂車で食べた【日本食堂】に繋がっていたりもするので、そういう意味もあって無意識に嬉しかったりもした。

    (左)ご飯(中央)煮込みハンバーグ(右)付け合わせのトマト



    そんな事で、「何時か食べるぞ【日本食堂】!!」という意気込みだけはあったのだが、何分、京葉線ホームは【日本食堂】とは反対の京葉ストリートの方が便利なので、こちらで食べるよりも「加藤精肉店」の「コロッケ」などを買ってしまう誘惑の方が高くもなっていたのだが、ある日、時間的にも丁度良い間が空いたので、念願適って訪れる事が出来たという次第である。

    食べたいものは色々とあったが、まずは「ハンバーグ(グランスタのメニューとしては「煮込みハンバーグ」)」を頼む事にした。
    これは、やはり「新幹線の【日本食堂】で食べたモノ」という”強烈な記憶”によるものだろう。

    それはもちろん子どもの時の記憶でもあるのだが、もう一つ強烈な思い出として大学生の頃、合宿が山口県であり、その帰り途、そこから帰省する組と、東京に帰る組とに分かれて、たまたま東京に帰る組だった自分ともう一人と先輩との3人で新幹線で帰る事となった。
    その時、駅名は覚えていないが、新山口(?)かどこか兎に角、新幹線に乗って直ぐに先輩がビールでも飲みたいという事で、食堂車に行く事になったのだが(当然、自分ももう一人も、”お供”をするという、ある意味【That's old 営業】”昭和のスタイル”が当たり前の時代でもあったので、先輩が行くと言えば問答無用でついて行く時代もあった)、 何と、そこからほぼ東京まで数時間、この新幹線の食堂車の一角を占領してあれこれと頼み続けていた事を思い出すのである。

    今となっては「化石化」しつつある”昭和のスタイル【That's old 営業】”は、「先輩が行く」と言えば、付いて行くことは仕方が無いのだが、その分、そこでの払いや何かは「先輩の負担」という”論理”をも内包していたのであり、この時も、”この先輩”がお一人で新幹線の飲み喰い代を払って下さったのである。

    ひとしきりビールを飲み、かなりメートルが上がる先輩は堯絶に色々と語りだし、我々は頷きつつ、お酌をしていたが、もちろん、ここで何も食べないということも無く、自分は「先輩、何か食べてもよろしいでしょうか?」と聞いて「ああ」という許可を頂きつつ、子供の頃に味わった「ハンバーグ」を頼むのであった。
    考えて見れば、それこそ大学生の時などいくら食べても足りないというのが当たり前で、ハンバーグ1つで足りる筈もなく、また、先輩ともうもう一人は結構酒好き・議論好きな人達だったので、食事よりも「議論」の方が盛り上がる性質だったので、自分は適当に参加しつつ「先輩、ハンバーグ頼んで良いですか?」と聞くと先輩は「良いぞ良いぞ」とそれこそ上機嫌でOKしてくれる事もあり2回目のハンバーグを堪能し始めたのだった。
    (当時は、それこそ「お代わりをする」ということも大事な要素で、”良く食べる奴”は「良い奴」という【謎の理解】が暗黙の了解としてあった時代でもあった)
    無論、自分だけではなく、先輩+1名も適当に何かを頼んでいたかとは思うが、自分はハンバーグだけではなく、「スパゲッティナポリタン」なども頼みつつ、この素晴らしい新幹線旅行を楽しんでいたのだった。
    「ハンバーグ」を5皿位頼んだ頃合いだったろうか……そろそろ新横浜に到着すると言う放送が流れ「【日本食堂】も閉店します」とのアナウンスも流れてお開きになったのだが、その時、会計を払っていた先輩は@80000円位を出していた様に記憶している。
    それを顔色一つ変えずに払った先輩も先輩だが、「ご馳走様です」「ありがとうございます」と何時もの様に頂いて最敬礼して過ごす我々も我々であったが、当時としては(少々金額が逸脱してはいる様な気がするが)良くある光景でもあったので、自分の様に”食べるの大好き”な人間には幸せな時代でもあった。

    という記憶が蘇る「ハンバーグ」でもあるのだが、当時よりは”肉臭さ”が薄れた様な気がするが、ちょっとした「鉄鍋仕立て」の中にドミグラスソースが入ったスタイルは健在で、付け合わせがブロッコリーに変わっていることと(インゲンだった気がする)、人参のグラッセがもう少しグズグズで甘くだったことはともかくも、久しぶりに【日本食堂のハンバーグ】を食べる事が出来て幸せな1日でもありました。