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新宿伊勢丹フランス展:2019年04月21日:リ―ブル×プラレ(Libre×Prare)


    丁度、昨年(2018年)の末頃だったろうか、家庭画報のネット版の様なものを見ていて、非常に興味を惹かれるお菓子の特集があり、いつか時間が空いた時に買いにいきたいな?と思っていたお店が、”Libre”であった。 なかなか白金高輪の方面に行く用事や時間も無く、そのお菓子と出会う事は難しいのかな……と思っていたら、新宿伊勢丹のフランス展に出展すると言う。 パティスリーだけでなく、料理の方も食べれるとの事で、これは何とか時間を創らないとと言う事で、何とか最終日に伺う事が出来たのでした。


    (左)新宿伊勢丹フランス展用のメニュー(中央)催事場の看板(右)催事場内イートインスペース内でのシェフポートレイト



    メニューの構成としては、

    前菜:トゥーレーヌ産ホワイトアスパラガスと墨烏賊の大根のラヴィオリ仕立て

    メイン:トリュフを練り込んだ川俣シャモとアナゴのテリーヌ ou リードヴォーのグラティネ ブロッコリーとバジルのピューレ

    デセール:3種類の中から一つ
    a: 紅茶の香りをつけたイチゴのショートケーキ
    b: マンゴー、パッション、柚子のケーキ
    c: クリームチーズ、クランブル、パッションジャスミンの香りのする蜂蜜のケーキ

    と言うラインナップで、メインとデセールは選択する形になっていました。

    (左)墨烏賊と大根のラヴィオリ仕立て(中央)(右)川俣シャモとアナゴのテリーヌ



    前菜の大根のラヴィオリ仕立ては、「イカ」「大根」「ホワイトアスパラ」と白系統をベースにして、コンソメの薄茶色が非常に映える色彩に加えて、鮮度の良いプリップリのイカを包んだ大根が程良いアクセントを挟んでいて、後から来るコンソメがお出しの様で、フランス料理と言うよりは、上等なシノワを食べている様な感じでした。

    メインのシャモは、アナゴと二段構成のテリーヌですが、上層を覆い尽くす様にトリュフをかけてくれてもの凄い贅沢な匂いがしていました。シャモの身の甘さも良かったですが、トリュフとソースに覆われた中味を丁寧にほぐしていくと、シャモとアナゴのこれまた綺麗な白身が見えてきて、前菜に続いて、視覚的な効果が抜群な一品。

    (左)イチゴのショートケーキ(中央)切断して(右)くす玉の中から魔法の液体が流れ落ちる



    そして、デセール。

    これの為に来たと言うのは、大げさな表現ですが、ケーキの上に液体の入った球体を載せて、切ると中からソースが出てくるのは、まさに田熊シェフのスペシャリテ

    なるほど、徹底的に見せるかぁ

    もちろん、当然の事ながら美味しいのだけれども、それ以上にこの仕掛けに心を奪われてしまう。
    そして、これが極々自然に楽しめる仕掛けになっているのも非常に素晴らしい。
    前菜のイカと大根、ホワイトアスパラガスを覆う薄い金色のコンソメ、黒いトリュフの皮を取ると姿を現すシャモとアナゴの白さ、そして、最後のデセールの流れだす液体………
    計算した構成と色調が織りなす見事なまでの作品
    非常に硬質で、しかも透明感のある作品達を最後に覆うのは、食べ手自らの手によって流れ出す魔法の液体

    閉じ込めた時間を開放するのは貴方自身……

    そんなメッセージが込められている様に思いました。
    そう言う意味で、サルバドール=ダリの様な一つのシュールレアリズムを感じる……と言うのは、少々大げさな表現でしょうが、このメニューの背景でもありましょう。

    (左)開場前談笑するシェフとスタッフ(中央)田熊一衛シェフ(右)前菜を仕上げるシェフ



    今回、カウンター席に座って、色々と忙しく動かれているシェフとお話をさせて貰いながら、お料理を頂きました。

    まず、一番びっくりしたのが、催事場の厨房機器で良くここまで出来るな?と思ったのですが(これは、松屋銀座のフェアでも、名古屋高島屋のフランス展でも思った事ですが)、シェフ曰くLibreの厨房も電気を使っているとの事で全く問題ないそうで、確実に近代的な機器の性能が向上しているんだなぁと驚いた次第。
    また、スタッフの方達の動きが澱みが無くて、非常に練度の高い一団を育ててるなぁと。田熊氏が司令塔としてさりげなく指示出ししたり、流れが途切れないようにスムースに動いていて、なかなかこうシームレスな動きを見せる集団も少ないよなぁと言う印象を受けました。

    さて……褒めるところばかりの今回のLibreでしたが、最後に少々注文を付けるとすると、余りに芸術的な要素が料理を凌駕している部分なので、食べ終わっての全体として”凄かった”と言う部分が大きくて、折角美味しかった個々の料理が目立たなくなっているのは勿体ないかな?と思うところ。
    もちろん、あたかも”時計”の様に、様々な部品である料理が精巧に機能する様に設計されて構成した結果の”凄さ”なのだけれども、やっぱり食いしん坊としては、個々の料理の輪郭ももう少し太く描いてほしいなと言うのは、贅沢な注文になってしまうのかもしれません。

    いずれにせよ、この田熊シェフは未だお若い。だからこそ、これからどんな所まで登って行くのか、どんな作風になるのか……非常に注目したいシェフのお一人ですね。