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2016年05月07日:欲望と言う名の【蛙のストロガノフとザッハトルテ】@A ta guele (アタゴール)

    人間には一つ二つ必ず”宿痾の病”というものがあって、どうやら自分の中では【蛙】を食べると言う事がそれに当てはまる様な気がするのだが……ここアタゴールにお邪魔するようになって、5月6月にかけては【蛙】を使ったメニューを食べたくなるのである。
    そんなわけで今年(2018年)は「蛙のストロガノフ」を食べたいという我が儘を中心にメニューを作って頂いたのでした。

アミューズ:猪のリエット 前菜:スープサンジェルマンのパリソワール 前菜:筍のオランデーズソース



    アミューズは「猪のリエット」。
    アタゴール定番のジビエ系+鎌倉野菜(or白神山地の山菜)での取り合わせ。
    ジビエ系は最近では色々なお店で取り扱われるようになってきたけれども、やはり扱いにモノを言うのは【経験値】
    安定した味のジビエのアミューズは、それだけでホッとしてしまう一品。

    続いては「スープサンジェルマンのパリソワール」。
    曾村氏の”パリソワール仕立て”については、もはや語り尽せぬくらい書いていますが、それほどに素晴らしいのが、このスープの技法。
    それに加えて、「グリーンピース」を使ったスープ(Sanit-German)の気品溢れる味は、本当に春から初夏におけるご馳走の一つでもあります。
    この2つが合わさって織りなす絶景のスープ……それは景色という意味でも味という意味でも一つの高みとでもいうスープでしょう。
    濃い目のコンソメジュレに、これまたしっかりとした分量のグリーンピースで作られたスープは、本当に人間が作り出した代物なのかと言う迫力で舌に挑みかかってくるのでした。
    何時もの事ですが……このスープをドンブリ一杯飲めたら幸せなのに……というのは、相も変わらぬ妄想の一つでしょう。

    そして、今回はもう一つ「筍のオランデーズソース」
    どうやら、新鮮な筍が入ったという事で、オランデーズソースと合わせてみたとの事でしたが、焼けた筍にトリュフ入りのオランデーズソースの組み合わせが意外に面白く、料理は常に進化(発見)の連続だなぁと思うとともに、だからこそ”余人を以て代え難いものが料理人である”というのはマイポリシーとして間違っていないな、と妙な納得をこの筍でしたりもしたのでした。

前菜:時不知のクレープ お口直しのグラニテ:鎌倉柚子



    続いての前菜には「時不知のクレープ」。

    既に”前菜”というよりも”魚料理”と分類した方が良いかもしれませんが、これまた豪華な一品がお目見えしてきました。
    「時不知(ときしらず)」とは、その名前の通り季節外れに獲れる「鮭」の事ですが、その希少性と、もの凄い脂の乗りから、なかなか手に入らないマニア垂涎の的の素材です。
    今回、たまたま手に入ったという事で”クレープ”に仕立ててくれましたが、これはサラッと書いていますが本当に幸運な事で、次に何時食べれるかは不明なだけに、”その僥倖”をも味わうという意味でワタクシの美食史の中でも心に留めておく一コマになったのです。

    まずは、何も付けずに時不知の身とクレープを食べます。口いっぱいに広がる優しい鮭の身の味と、鮭の脂の味が、本当に別格の鮭である事を感じさせます。
    そして、白いヨーグルトベースのソース、赤いビーツベースのソース、緑色のイタドリベースのソースにそれぞれ付けてクレープを味わいます。
    個人的には、イタドリベースの少々クセのある感じが、時不知の身の優しさと甘さを引き締める意味で好きですが、ヨーグルトの甘さ、ビーツの少々の酸っぱさも、それぞれ時不知の別の顔を見せてくれるように作られていて、非常にアクセントのある料理になっていました。
    黒いお皿の上の「濃い緑」「白」「濃い赤」の色彩が織りなす空間に、これまた綺麗に焼かれたクレープの薄い黄色が中心に映えて、それこそ最初はデセールかと見間違うかの様な顕れでしたが、良く見ると【漆器】の様にも見え、あるいは、アールデコの装飾の様にも見え、その含意は何であろうか?と回らない頭で考える自分がいたのでした。

    ちょっとした【謎】を考えつつ、お口直しのグラニテが運ばれてきます。
    「鎌倉柚子を使ったグラニテ」
    お口をさっぱりさせるグラニテですが、何気に「ヨーグルト」「ビーツ」「イタドリ」と特徴のあるソースのパレットの後だけに、鎌倉柚子の真っすぐでシンプルな味が次の準備に必要不可欠な要素になります。
    グラニテの岩石の様な硬く透明な塊をスプーンで削りつつ、先ほどの【謎】が分からない事も手伝って、「そう言えばグラニテを作った人は誰だっけ?」とあらぬ方向へと向かうのですが、舌の上のさっぱりさとは裏腹に頭の中は結構グルグルとしてメインを迎える事になるのでした。

メイン:蛙のストロガノフ 




    メインは「蛙のストロガノフ」

    「蛙のストロガノフ。アスパラソパージュを添えたサフランライスで。」
    「ストロガノフと言うお話でしたが、”蛙”なので、ストロガノフをそのままというよりは、曾村がグーラッシュに近い方が良いだろうとの事で、”グーラッシュ風”にアレンジしてあります。」

    「オリエント急行はハンガリーも通るものね?」
    「そうですね。曾村も良く列車でグーラッシュを作ったようですよ」

    とのやり取りが市川氏と交わされたのでした。
    そもそも「ストロガノフ(Stroganoff)」とは、上の左側の写真の御仁(アレクサンドル=セルゲーエヴィッチ=ストロガノフ)の名前から取られた料理で、この御仁が歯を悪くして硬いものが食べれなくなったので、牛肉を煮込んで柔らかくしてサワークリームを和えたものを好んで食べる様になった事に由来します。
    (この由来については諸説あるが、どれも「ストロガノフ家」が関わってはいる)
    そういう訳で、本来の「ストロガノフ」は「ビーフストロガノフ」と人口に膾炙しているように、【牛肉】で作るのであって【蛙】で作るモノではないので、より幅広く「煮込む系」に属するグーラッシュ(goulache)の方が理に適っているということだったのでしょう。

    個人的には「ストロガノフ」か「グーラッシュ」かは(今回は)気にする場面でも無く、要するに「蛙を煮込んだモノをご飯で食べたい」と言うことだったので、その様な技法の(名称の)云々は横に置いて、早速に「蛙のストロガノフ様(よう)」と対峙する事にしたのでした。

    強めにサフランで炊いたライスに、良く煮込まれた蛙をのせて(かけて?)食べると、蛙が良く煮えていることもあって割と直ぐに蛙の肉もほぐれて、蛙独特の細かい細かい肉質と、まるで淡水魚のような鶏肉風の味が入ってきます。

    「うんカエル

    一年に一回は食べたくなる衝動を持たらす【蛙】は、こうして目出度くワタクシの口と胃袋に収められて行くのでした。
    アスパラのソバージュ(野生の意味)のちょっとした自己主張は、短くなった春の名残と初夏の入り口を繋ぐ道しるべのようで、たっぷりと煮込まれたトマトとパプリカや、少量だけど目立っているカッテージチーズにも負けずに頑張っていて

    思わず、「蛙の子 そこのけそこのけ アスパラが通ると。



ストロガノフ家は、政商として財と地位を築きます。
後には【私設軍隊】も持つ程の繁栄をします。

デセール:ザッハトルテ 




    デセールは「ザッハトルテ」

    アタゴールのデセールの中でも非常にお気に入りなのが、この「ザッハトルテ」
    この有名なウィーンのお菓子は、上の写真の真ん中の髭の人であるフランツ=ザッハーが、オーストリア宰相のメッテルニヒのために作ったもので、日本では百貨店のデメル(Demel)で売られている有名なお菓子であろう。
    もちろん、デメルで売られているザッハも良く食べたのだが、商品の性質上というべきか、スポンジの具合がイマイチしっとりとしていなくて、ある時からパッタリとデメルに足が向かわなくなっていた。
    別に、デメル以外にもザッハは目にもしたし、ホテルや巷のフランス料理店でもザッハを食べたような記憶はあるが、印象に残っているザッハがない所を見ると、そんなにお気に召すものはなかったのだろう。

    ところが、ここ(アタゴール)のザッハは、なかなか美味しい。
    それは、曾村氏がオリエント急行に乗ってオーストリアを含む現地の料理に精通しているという事が一番大きいと思うのだが、要は、それだけこのザッハに注力した人物(お店)と出会えなかったという事でもあろう。

    そんな事もあり、トリュフのコンソメパリソワールと並んで、デセールのリストに現れている時には、殆ど必ず頼んでしまう一品になったのである。
    そして、(この食いしん坊と言う”性(さが)”ゆえ、ザッハをホールで……と、それこそパリソワールをドンブリで、と同じような論理構造で狙う自分がいたのでした)

    それゆえ、今回は、デセールの注文を取りに来た市川氏に、「ザッハだけで、後はアイスクリームはいらないので、量を増やして? でもクレームシャンティはつけてね」と。かねてからの(大望)を実現するべくオーダーをしたのが、上記写真の”ザッハ2倍の図”である。

    正直、非常に美味しかった。そして、非常に満足をした。しかし……これだけ美味しいと「食後にデセールでザッハと言うよりは、ザッハだけを食べる(所謂「菓子茶事」みたいな)ことを目的にする……というメニューをオーダーしてみようか???」という妖しく危険な考えが浮かんだ一幕でもあったのです。

デセール:クレープシュゼット プチフール:バナナケーキ




    さて……そんな”不穏な計画”が厨房に伝わったのでしょうか?

    市川氏が何やら替えのナイフとフォークを持って来て、「暫しお待ちを」と。
    その後、暫しすると、再び市川氏が「クレープシュゼットです。今日は厨房で作りましたが、ザッハだけでは足りないのでは無いかと思いまして曾村から」と。

    むうう 読まれたか 残念!?

    と【魅惑のザッハ計画】は未然に防がれたのでした………

    魅惑的なフランス料理と同様に魅惑的なデセールというのは、人の心をとらえて離さないものです。
    フランス料理とデセールは、それぞれが連関しつつ、かといって双方の関係はある意味独立しつつと言うなかでお互いを高めてきました。
    それゆえ、”シェフ”と”パティシエ”という二つの領分の職域が成立したわけです。
    人間の飽くこと無き欲望を満たすこの2つの職業が、それこそある意味”神の御業”であるかのように映るのは、その一品一品に”余人を以て代え難い”と言うモノ作りの根源的な要素が内在しているからだと思うのです。

    ザッハのレシピに沿ってフランツ=ザッハその人が作ったのであれば食べてみたいけれども、レシピがあるからと言って、誰もがその通りに作って満足のいくザッハが出来るわけではありません。
    フランツ=ザッハと同等、あるいは彼を超える美味しいザッハを作る(現す)には、やはりそのレシピを使いこなすだけの技量と、そこに至るまでの自分のセンスや見識というものも必要になるでしょう。
    それは、食べる側の飽くなき”美味しいものを食べたい”と言う想いに呼応する、作り手側の”美味しいものを作りたい”という想いが合致することが必要だと思うのです。

    【AIの時代】【ディープラーニング】などとはいうものの、果たしてこれらの【存在】は”美味しいものを作りたい”という【欲望】を抱くでしょうか?

    欲望無きところに進化(真価)は無い

    という一つの哲学に至ったある日。
    それは、「蛙でストロガノフ」、「ザッハをもっと」と言う【欲望】が紡ぎ出した産物でもあったのです。