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2016年09月25日:あな美味し【やっぱりアナグマ】 @A ta guele (アタゴール)

    名古屋で行われていた「フランスフェア」から曾村シェフ&市川支配人を始めとするアタゴール社中の皆さんも無事に帰って来たとの事で、フランスフェアお疲れ様という事を言いに木場のアタゴールへと赴きました。
    すると、珍しい食材である【アナグマ】が入ったという事で、是非とも食べてみることにしたのでした。

アミューズ:鴨のリエットとトマト・金糸瓜 スープ:青蟹のビスク



    まずは「名古屋」お疲れ様という事で、ご挨拶かたがた名古屋でのその後の事を色々とお話をして、今迄に食べたことの無い【アナグマ】をオーダーします。今回は特に何か特別なものをお願いしていた訳では無いので、後は【アナグマ】に合うように曾村シェフにお任せと言うことに。

    【アミューズ】は「鴨のリエットとトマト・金糸瓜」
    鴨のリエットは鴨の脂と肉の旨味が一体になって、本当にパンが進んで困ります。もっとパンを食べたいところですが、それでお腹をいっぱいにするのは勿体ないので、ここは自制心が求められる場面。
    トマトが、4色(赤・黄・緑・臙脂)そして金糸瓜を合わせて”五色”とは縁起が良い取り合わせで、目にも美味しい構成になっています。
    個人的には「臙脂色のトマト」の味が一番渋めかつ適当な甘さで気に入りました。

    【スープ】は「青蟹のビスクスープ」
    ”アオガニ(青蟹)”は、ワタリガニの一種で台湾を原産とするものを指すそうですが、秋から冬にかけて栄養を蓄えるとの事で、そこが食べごろだとか。
    「蟹」と言うと、中国の方、特に上海方面の方は「上海ガニ」が無いと秋は始まらないと力説していたのを思い出しますが、日本も相当な「蟹好き天国」なのは言うまでもなく、「何処のカニが美味しい?」などとなるとそれこそ蟹の如く口角泡を吹くように激論になったりするから不思議です。
    かくいう自分も「蟹」は好きなのですが、面倒くさがりなこともあって、蟹そのものを食べる行程がある「上海ガニ」や「日本の蟹」の料理は避けてしまうのですが(「上海ガニ」については老酒に漬けてあるという事もあって、アルコールがダメな自分は尚更避けることに)、なかなか「蟹」を食べ易くというのは「上海ガニ」や「日本の蟹」では難しい話でもあるようで(以前、「上海ガニ」を食べ易くならないかということを相談したら”ほぐしても良いが追加料金”という話になったので、なおさら「上海ガニ」は遠くなってしまった。)
    そんな事もあって、最初から「蟹」が素材として(具材として)調理されているフランス料理や洋食の方が心やすく食べる事が出来てお気に入りではあります。

    今回のアタゴールのスープは【V.G.E】仕立て。パイ包みのスープの事ですが、このパイ包みの一番良い点は、パイを崩す瞬間に中からのスープと具材の芳香が上がって来るのを楽しめるという点でしょうか。
    特に温かいスープで、スープと具材(浮き身)の混然一体な要素の強いモノとパイ包みは素晴らしい相乗効果をもたらします。

    モフモフに膨れたパイにスプーンを立てて、その綺麗なドームを崩すと、得も言われぬ蟹とコンソメの匂いが立ち昇ってきます。
    【至福】……の一瞬……そして、おもむろに中の様子を伺います……”?”
    (ご同席した方の「きゃぁ蟹のムースが美味しいッ」という声……)
    再度、スープの中を凝視します……「ない!?」……「ないのぉ!???」……と悲鳴を上げたわけではないのですが、心の中では急速に【美食の蝋燭の火】が消えそうになったのでした。
    とりあえず、忙しくテーブルを飛び回っている市川氏に声をかけ、「蟹の浮き身が…」ということをお話すると、申し訳ないということで平謝りに(かえって恐縮したのだが)厨房に戻っていかれたのですが、10分位して再び市川氏が手に小皿をもって現れました。
    「申し訳ありませんでした。中のアオガニのムースです。ビスクスープを濃い目にしてもって参りました。」と、何と中の蟹のムースが小洒落た一品になってやって来たのです。
    (ご同席した方「そちらの方が美味しそうかも……」)
    「蟹のパイ包みスープ」のスープ自体はもちろん美味しかったのですが、こうやって(変化をつけて)中の蟹のムースだけを独立して食べると、濃い目のビスクスープがソースと同じような感じで、より濃厚に「蟹」の味を味あわせてくれます。
    (ご同席した方「良いなぁ……もう一品増えて……」)
    このアクシデントのお蔭で、逆に「蟹」をゆっくりと堪能出来て、再びワタクシの【美食の蝋燭の火】が明々と灯ったのですが、このご同席したが方が羨望の眼差しを向けたように、アクシデントを良い方に転化させるというのもシェフ(やお店)の技量の一つでもあるでしょう。
    この辺の”機転”というのは、なかなかに難しい事でもあって、そうは中々やろうと思っても出来ないことですが、「料理の不備」に対して「料理で補う」という正面からの直球勝負は、(「品数」が増えたということも相まって)”食いしん坊(達)”の心を捉えて離さない一場面になったのでした。

前菜:茸のショートパスタ 



    市川氏が、先ほどのお詫びにと「アイスティー」を持って来てくださいました。
    (市川氏の淹れた紅茶はなかなかのお気に入りで、コースの後でサロンカーに移っての飲み物には、「市川氏の紅茶で」と頼む事が良くあります。)
    この「アイスティー」は、温かい紅茶を冷やしてくれたとの事で、なかなか濃い目に出ていて思わずお代わりをしたくなるほどでした。

    アタゴールは”ジビエ(gibier)”の有力なお店の一つですが、各地のハンターさんとの繋がりからもたらされる山の恵みの一つに「茸」があります。
    【御本尊】のケモノの収穫はまだ先を待たなくてはなりませんが、秋の葉に色付く山の中では、一足お先に姿を現す秋の味覚の一つ
    その「茸」をたっぷりとつかったパスタ仕立ての一品。
    パスタはアルザス風の”スパッツエル(spatzle)”にすることで、単純なパスタ料理ではなく、”フォレスティエール(forestier:森林風)”という立派なフランス料理に仕上がります。

    「茸」の美味しさは、これまた独特なもので、”あんな菌糸類がどうしてこんなに美味しいの”という不思議さをも纏っているものです。
    ”山の精”などと形容もされますが、その奥深い味は、「肉類」とも「穀類」とも違う別の世界を構築するがゆえ、本当に「山」そのものが形を変えた姿なのかと思ってしまう事も多々あります。

    平茸や杏茸をはじめに色々なキノコが被さったスパッツエルは、キノコの方が多くて、どちらかというと「茸鍋」のような様相で、口いっぱいに広がる茸は、そのボリュームと存在感だけではなくて、一足早く秋の訪れを感じさせてくれるのでした。
    噛み切るのに力を込めて、キノコの繊維に歯を入れると、キノコ独特の水分とフォレスティエールのソースが絡んで嬉しくなりつつ、ご同席の方と「ドーデの【最後の授業】のアメル先生はこんな美味しいモノを食べてたんですかねぇ?」と聞くと、「案外、アメル先生もあの名演説の後で、憂さ晴らしに美味しいモノを食べにいったかもしれないですよ!?」などと返ってきて、「やはり御同類はそうきますか!」と思わず頬を緩め、アメル先生の謹厳実直な愛国者のイメージの裏で、実はどうしようもない美食家だったらそれこそ文学的な要素としての【人間の底知れないギャップ萌え】に繋がるなぁなどと(「茸」のセイなのか)ニヤニヤとしながら考えたりもしていたのでした。

お口直し:巨峰のグラニテ メイン:アナグマの煮込み





    ”何故か”盛り上がった「茸」談義のあとは、お口直しのグラニテが運ばれてきます。今日は「巨峰のグラニテ」。
    巨峰を濃い目のジュースにして作るグラニテは、口当たり爽やかですが、普通の市販のジュースとも、絞り立てのジューススタンドのジュースとも違うモノで、”氷の中に水を閉じ込めたようなその味わい”は、(表現は誠に稚拙だけれども)やっぱり「料理」なんだなと改めて思うところ。
    場合によっては、グランデセールの前のアバンデセールとしてグラニテを出す処もありますが、その様な臨機応変な使い方が出来るのもこの「グラニテ」のよいところでしょう。

    グラニテを食べて、先ほどの「茸」の興奮が冷めたころ、”その料理”は運ばれて来たのでした。

    アナグマ襲来」

    そんな表現が適切かどうかはともかくも、今まで食べた事のない食材が目の前に現れたのです。
    イチジクの葉で蒸し煮になって、あたかもフランス版「豚の角煮」の様な色合いを私たちの前に披露していました。
    ベルギーが誇るトラピスト修道会のシメイビール(chimay blue)をベースに煮込まれた【アナグマ】は、その姿かたちや、言い伝えなどからは想像も出来ない甘い良い匂いをさせて白い皿の上で惜しげもなくその巨躯をさらしています。

    「突撃!!」

    とナイフとフォークを持ち、この「豚の角煮」然とした物体に挑みかかりますが、なかなか……
    しっかりした筋肉が密度が高く集まっているせいか、かなりの弾力を有しています。
    何とか、筋繊維の切れ目を見つけてナイフを入れると、意外に簡単に切れましたが、そうすると、今度はこの筋肉と筋肉の間にあるゼラチン質がたっぷりと見えています。
    そう……ここまで肉質が硬い(剥がれない)のは、このゼラチン質が強力に肉と肉とを繋ぎ合わせていたからだったのです。
    早速、この戦果で得られた「肉とゼラチン質」の部分を口に運びます。

    何とも!

    先ほどの格闘の際には思いもつかないほど、肉には味が染みていて、かつ、ゼラチン質独自の質感と、アナグマの脂肪の甘味を感じます。
    これは、今まで食べた事の無い食感で、かつて、北大路魯山人の書いたものの中に【オオサンショウウオ】を食べる話があったけれども、その時に「硬い肉を煮込んで一日たった後のタップリとしたゼラチン質が……」という件が思い出され、種は違うけれども、こんな感じだったのだろうか?などと思ったりもしたのだった。

    通常のジビエは、その野趣味というか、家禽とは違う肉や血や薫りを味わって、「これが野生か」という感覚を覚えるものだが、この【アナグマ】と言うモノについては、普通のジビエというジャンルとは少々違うというか、ジビエではあるけれども、もっと異次元にあるような気がして、通常の「鴨」や「鴫」「雉」「鹿」「猪」「熊」「兎」というモノ達とは違う仲間なのかなという気がしている。

    そう言えば、「アナグマ」は「むじな(貉)」と呼ばれ、人の生活に面白おかしく入ってくる生き物だと言うし、それこそ「たぬき・むじな事件」「むささび・もま事件」などのように、理解しようとする者を翻弄する判例などを作りだす生き物なのだから、そこには普通の”獣”とは何らかの違う性質を持っているに違いない………などと思うのは、それこそ「アナグマ」の計略に引っかかった事の証左であろうか……

    「やっぱりアナグマは侮れないのである」


ちなみに「狸」の肉を使った「狸汁」は
日本の江戸時代には割とポピュラーであったとか

デセール:桃の蜂蜜がけ プチフール:鬼灯の飴だき ティー:ミントティー




    今日は、非常に興奮した1日でありました。
    そんな時のデザートにと、市川氏がお薦めしてくれたのが「桃の蜂蜜がけ」
    桃にあっさりとした蜂蜜がかけられていますが、なかなか素人の自分達ではこの様にあっさりと、しかし、的確な塩梅で蜂蜜をかける事は難しいでしょう。
    美食家の一人であるブリア=サバラン(Brillat-Savarin)が「水蜜桃の様な」という形容を使ったことがありますが、手を加えないでも美味しいのが果物であるところ、手を加えてあるか加えてないかギリギリのところで落ち着かせるのは、先ほどの「巨峰のグラニテ」の時と同じように、料理の技と言うべきものでしょう。
    そして、それは決して一朝一夕には身に付かないものなのです。

    まさに、神羅万象の変幻を取り扱うのが”料理”とするならば、それこそ今日のメインの【アナグマ】なぞはオチャノコサイサイと言う事になるのでしょう。

    一連の流れを終えて、車両の方に移動して最後のお愉しみのプティフールは「鬼灯の飴だき」
    最後に【鬼】が来るとは……
    【アナグマ】が【鬼】を招いたのか……それとも料理人が【鬼才】なのか……

    何であれ、楽しい愉しい、”収穫の秋”、”味覚の秋”の到来を予見する一日だったのです。