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2016年07月11日:ナポレオンに勝利した男の【ブッフウェリントン(Bouef Wellington)】@A ta guele (アタゴール)

    フランス料理にはフランスだけで無く、他国の故事に由来する様なものに名前が付くこともしばしばあります。
    今回は、その中でもフランスの皇帝であるナポレオンに勝利した人物に由来する料理であり、ホテルオークラのスペシャリテでもある”牛肉のウェリントン風(Bouef Wellington)を特にメインに組みこんでコースを作って頂きました。

アミューズ:イベリコ豚のチョリソー   スープ:トリュフのパリソワール   前菜:3種のラヴィオリと2種のソース 



    アミューズは仔豚とフォアグラのリエットと鎌倉野菜のビーツと蕪を合わせたものです。
    最近は、リエットをアミューズ(付き出し)で出してくれる処も減ってきてしまいましたが、どうしても古い世代と言う事もあってか1980年~90代にパンとムシャムシャやっていた事があるので、非常に嬉しい一品です。
    ビーツの独特の野菜感がリエットの脂を洗い流してくれて、お酒が飲める人はここで一杯と進んでしまう事でしょう。

    スープは、「味来とうもろこしのポタージュ パリソワール」。”味来トウモロコシ”は静岡で作られているトウモロコシで、なかなか市場に流通していない貴重なものです。
    コーンポタージュと言うと、家庭で作るバターと小麦粉たっぷりのもったりとした系のポタージュも素朴でしみじみとした味わいがあって美味しいのですが、こういったフランス料理店の研ぎ澄まされたスープはやはり別格の美味しさです。
    ”パリソワール”仕立てで、コンソメの凝縮した美味しさが更に美味しさの次元を上げてくれています。
    夏場の辛い気候の時に、本当にこのパリソワール仕立てのスッキリとしたスープを飲むと良い気分転換になるので、アタゴールに来ると、何は無くてもパリソワールと言う風になってしまったりもします。
    添えられているキャビアと自家製のブリニスを食べつつ、ちょっとしたロシア貴族の雰囲気を満喫して次を待ちます。

    前菜として「3種のラヴィオリ ソースナンチュア」。この3種のラヴィオリは、それぞれ中に入っている具が違っていて「時鮭」「ホタテ」「グルヌイユ」と豪華な3点セットになっていて、この上からナンチュアソース(sauce nantua)と言われるザリガニから作るソースをかけてあるのです。
    しかも、このナンチュアソースはそれだけも十分に美味しいのですが、今回のナンチュアソースにはトリュフソースも一緒になっていて、得も言われぬ風味になっています。
    ナンチュアソースの紅褐色の海に浮かぶ3種の黄色いラヴィオリに、トリュフソースの雲海がかかっていて、桃源郷を思わせる様な雰囲気です。
    トリュフソースのかかったラヴィオリを口に運ぶと、中から淡白で繊細の肉質なグルヌイユ(蛙)が飛び出してきて、そして連続して来るザリガニのアタック……
    いや、素晴らしい。何とも素晴らしい。こんな素晴らしいラヴィオリは、イタリア貴族もビックリの美味しさ(と豪華さ)でしょう。
    そして、鮭のラヴィオリ……蛙とは違って鮭の赤い肉質は結構自己主張してきて、同じ赤いナンチュアソースと遭遇しても引かない頼もしさを感じます。
    「ホタテ」……あっさり呑みこまれるかと思いきや、意外にしぶといのがこの「ホタテ」……ホタテの身の甘さが微妙にナンチュアソースとトリュフソースをかいくぐって口の中に広がります。
    3者3様と言うこの贅沢な競演は、ちょっとしたオペラですらありました。

お口直しのグラニテ メインの付け合わせ 登場を待つ”主役”



    ラヴィオリ三重奏を食べた後、お口直しのグラニテを食べて来たるべき主役を待ち受けます。(「何のグラニテ」だったか……)

    まず、最初に主役の付け合わせのズッキーニとヤングコーンをさっと揚げたものが登場。ズッキーニとコーンを際立たせる様な卵黄の黄色い色調がキャンバスの様でもあります。
    そして、ポテトの付け合わせポムデュシェス(pommes duchesse)がさりげなく自己主張しています。

    静かに運ばれて来た”主役”が満を持して登場を待っています……

メイン:ブッフウェリントン(Bouef Wellington)




    さて、いよいよ登場のメインである”ブッフウェリントン(Bouef Wellington)”
    左の人物が、そのご当人であるウェリントン公爵(こと アーサー=ウェルズリー)。
    右の人物が、かの有名なヨーロッパに覇を唱えたナポレオン1世(こと ナポレオン=ボナパルト)。
    1812年大陸封鎖令を出したナポレオンはイギリスとの間の最終戦争に乗り出します。欧州大陸の覇者であるフランスと、海上帝国の覇者であるイギリスとの闘いが始まったのです。
    イギリス側についたロシア帝国を討つために遠く遠征したナポレオンはクツーゾフやバグラチオンの猛反撃により一敗地にまみれるの状態でロシアを後にしますが、ここですかさず息の根を止めに入ったのがイギリス。
    1814年のナポレオン包囲網によるナポレオン退位への道筋をつけ、1815年エルバ島を脱出して復位したナポレオンを再度攻撃し、ワーテルローの戦いで完膚なきまでに打ち破り、その後のセントヘレナ島への幽閉を促した人物……それがこの左側の赤い服を着たウェリントン公その人なのです。
    (正式には、1814年にナポレオン戦争の功績によりウェリントン侯爵が叙爵されて、”初代ウェリントン公爵”となり、現在に至るまで続く有力貴族の一人となった。)

    さて、この「ブッフウェリントン」。
    その名前の通り、ワーテルローの戦いに勝利したウェリントン公爵に捧げられるために作られたのですが、どういうわけか、「ブッフウェリントン」と言う名称はなかなか定着せず、最初は「File de bouef en croute(牛肉のパイ包み焼き)」と言う表現に追いやられてしまいます。
    戦勝国イギリスが、料理名において負けてしまうと言うのは何とも面白い文化闘争的な側面を感じるところですが、暫くはメニューにすら登場しなかったとの事からも、いかにもフランス人のプライドが窺える話の一つとも言えるでしょう。
    フランス料理では有名な「アメリケーヌソース」の語源を巡る話がありますが、おいそれと自国にある文物に他の国の由来がある事を認めようとしなかったりします。
    かねてから海外の文物を受け入れてきた日本辺りでは、こんな事は起こらないで「宇得林屯」等と当て字が出来そうな雰囲気さえしますが、名称・由来に関するプライドの高さに関するあれこれは、フランス料理(あるいは「文化史的側面」)の面白い部分でもあり、避けて通れない部分でもあるので、「文化」と言うものの、成り立ちの複雑さを目の当たりにする側面でもあります。
    そんなエピソードを持つ料理ですが、時間を経て”ブッフウェリントン”と本来の正式な名称で記載される様になった様です。

メイン:Bouef Wellington デセール:ピーチメルバとパッションフルーツのラッフルズスタイル プティフールとコーヒー




    「ブッフウェリントン」のレシピを見ると、牛肉にシャンピニオンを詰めてパイで包んでからドミグラスソースを和えるとなっていますが、今回、曾村氏が作った所謂”ホテルオークラスタイル”のブッフウェリントンは牛フィレ肉の真ん中にトリュフを埋め込み、付け合わせのソースはペリグーソースと非常に豪華な内容での登場で、元々のウェリントンよりも更にグレードアップして料理となっています。

    日本を代表するホテルオークラのメインダイニングであるベルエポックが”絶対の一品”と誇るブッフウェリントンが、今、目の前で分厚くカットされ、付け合わせのペリグーソースと共に供されました。
    何とも言えないペリグーソースの甘さと黒トリュフの芳香が口を覆います。厚みのある、綺麗なピンク色の牛肉に歯を入れると肉の旨さとパイの香ばしいバターの薫るサクサクとした感じがペリグーソースと共に口いっぱいに広がってきます。
    この圧倒的なヴォリューム感と、贅沢な味の組み合わせは「欧州大陸の覇者」を破った人物に捧げられるに相応しい料理でしょう。
    これを口いっぱいに頬張っていると、「フランス人がブッフウェリントンの名称を受け入れなかったのは、戦争の勝敗もさることながら、この料理自体に負けたんじゃないの?」などと無邪気に思ってしまう訳ですが、そんな戯言を思い付く位美味しい料理なのです。

    「ブッフウェリントン」を心行くまで堪能した我々に供されたデセールは、「ピーチメルバとパッションフルーツのラッフルズスタイル」でした。
    ”ピーチメルバ(peche Melba)”は、かのエスコフィエが女優のネリー=メルバに捧げた有名なデザート。
    そして、「ラッフルズ」とは、シンガポールを建設したトマス=ラッフルズの名前であり、彼の名を冠したラッフルズホテルの名物です。
    曾村氏は、「公邸料理人」「オリエント急行シェフ」と言う経歴の他に「ラッフルズホテル」での勤務もあるのです。これはそのラッフルズホテルでのデセールから取り入れたものなのです。
    1810年代のヨーロッパで、フランスとイギリスは仲良くは出来ませんでしたが、2016年の東京ではフランスのエスコフィエと、イギリスのラッフルズスタイルが仲良く同じ器に乗る事が出来ています。
    考えれば、料理とは不思議なもので、当初は「ウェリントン」の記載を拒んだメニューも今では堂々とウェリントン風として定着をしていますし、今ではあちこちの料理のフュージョンの形態も盛んに見られる様になりました。
    「料理を通しての平和」などと言う事を語る気は毛頭ありませんが、しかし、人間の”美味しいものを食べたい”と言う欲求は、民族や国家に立ち塞がる壁の様なものも崩して行くのかもしれません。
    もちろん、国際政治を語る様な立場でも無く、世界を動かす様なキーマンでも無いワタクシは、高邁な理想の実現に悩む事も無く、自らの日々の美食に邁進する事のみを考えれば良い気楽な身である自分……と言う事を改めて考えると、素晴らしきかな我が美食の途などと独り悦に入るのでした。

    最後のプティフールに出たシュークリームのカスタードを舐め、紅茶を飲んで、今日もたらふく美味しいものを食べる事が出来た自分に自画自賛をしつつ、次にウェリントンを食べれるのは何時かしらん?などと考えつつ、帰りの途へとゆっくりと向かうのでした。


「ナポレオン自体は料理名に名前を残せなかった」
と言う点でもウェリントンに一本取られたんだね!?