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2016年05月09日:蛙の宮殿Ⅰ【グルヌイユのピラミッド】@A ta guele (アタゴール)

    今回のコースを頼む前、丁度、木場のアタゴールのメニューに「蛙」が登場していました。「蛙」はグルヌイユ(grenouille)とも呼ばれフランス料理ではメジャーかつ高級な素材の一つでもあり、非常に繊細な味わいで美味しいのですが、今一つ日本では見かけることが少ない料理の一つでもあります。
    そんな「蛙(グルヌイユ)」が通常の季節メニューに載るアタゴールであれば、きっと「蛙」で他のお店には無い料理を食べれるのでは?と言う事で「蛙」を組みこんだコースを作って貰う運びとなったのでした。

夏トリュフのクリームスープ パリソワール仕立て:Soup de truffe d'ete en Paris-soir



    アタゴールにお邪魔する際に、メニューに載っていると頼む頻度が非常に高い一品……である、この”トリュフのスープのパリソワール”。
    曾村氏の代表するスペシャリテの一つでもありますが、これほどまでに上品でありながら、どこか官能的な部分があり、そして美味しいと言ったスープはそうそうにはお目に掛かれないでしょう。
    トリュフの独特の芳香と共に、しっかりとしたボディのクリームスープと濃厚に抽出されたコンソメが塩梅良く冷えて出てくるのを飲み干す至福………
    そんな”液体にした宝石を飲む”かのような体験が出来る一品でもあります。

    ”コンソメ(consomme)”のとり方は、シェフの皆さんそれぞれの考え方や方法がある部分であり、それこそ余人を以て真似する事が出来ない分野の一つでもあります。
    やはり、アタゴールの曾村氏もコンソメのとり方には神経を使うとの事で、コンソメの仕込みに店に泊り込んだり、納得がいかなければ作り直したり、と、その出来映えにはもの凄いエネルギーが投入されているようで、場合によっては厨房が相当にピリピリとした雰囲気になると言う事を、支配人の市川氏も、サービスの山田氏も話して下さった事があります。
    (そして、これは、どのお店のシェフもほぼ同じで、”コンソメ”をとっている時は「近づくな」と言う冗談があるくらい、一つの修羅場でもあるのです)

    何故に、ここまでコンソメに神経と労力を投入するのか?
    それは、コンソメが、単純にスープとして料理の一つとして供されるという事だけではなく、料理の土台として様々な料理の土台として使われると言う部分だからです。
    「コンソメ」がしっかり出来ていなければ、料理もしっかりしないし、味も変わってしまいます。
    ですから、食べる側からして(少々上から目線で盛るならば)「コンソメ」の良し悪しで、そのお店やシェフの力量が推し量れてしまうと言う恐ろしいものなので、作る側からも全力でそれに立ち向かうという事になるのです。

    初夏と言うには、未だ早い5月ではあるものの、もう夏の暑さが皮膚一枚のところで感じるような日に飲む冷たいパリソワールは秀逸で、これだけでコースを作ってくれたら良いのにと思うような一品でもありました。
    (実は、この日に伺う数日前にも、とある方との会食でアタゴールの個室でパリソワールを飲んでいたりもしたのでした。)


蛙のピラミッド:Aspic aux grenouille en pyramide 



    この時の衝撃と存在感を忘れる事は出来ないだろう

    それほどまでのインパクトのある一品が運ばれてきました。
    「蛙のゼリー寄せ ピラミッド仕立て」

    今回の「蛙」コースを頼む際に、「円柱状か」「ピラミッド状か」のものをお願いします……と、かなりの無理・難題をお願いしてしまったのですが、こんな素晴らしい姿で登場するとは………
    特に、現代フレンチとか、新感覚フレンチとかを指向した訳では無かったのですが、何故かこの時は”そう言う透き通る空間”をも味わいたいと言う、”ワガママ”であったのです。

    最初に市川氏に相談をした際に

    「かねてから考えていた事があって」
    「はい」

    円柱の中に浮かぶ「」って良くない?」

    「………円柱ですか?」

    「あるいは」

    「……あるいは?」

    【ピラミッド】!!」

    「…ピラミッドですね?」

    と(内心ギョッともしただろうが)「大きさはどれ位…硬さはあれこれ…云々」と平然とメモを取ってくださっていた。
    その後、再度アタゴールを訪れた折に、市川氏から「曾村とも話たのですが、【円柱】は強度や大きさの点で難しいらしいので、【ピラミッド】でなら可能だそうです。」と言うお返事を頂くに及んで、(内心ウキウキしながら)「では【ピラミッド】で!!」とお願いをしていたものだったのです。
    その様な経緯があって誕生した”蛙のピラミッド”。
    造形物に心奪われてしまうワタクシにとって、この四角錐の登場に勝手の興奮の頂へと登りつめたのでした。

    「蛙のゼリー寄せ ピラミッド仕立て オゼイユの2色のソースでお召し上がりください」

    と言う市川氏の説明を受け、食べる事に着手します。
    崩すのをためらいつつも四角錐にナイフをあてると、その見た目の質感とは裏腹にスッとナイフが入ります。
    硬いけれどもフルフルとした不思議な質感の表面から、ほんのりと色づいた紫水晶とスモーキークオーツの様なゼリーを切り出します。
    コンソメのはんなりとした優しい味……これが「蛙」のコンソメかぁ……
    そうです、今回のピラミッドは蛙のコンソメで作られた贅沢な一品なのです。
    淡白なそれでいて鶏肉の質感とはまた違った微小な繊維質で出来た蛙からこれだけのピラミッドを作るためにはどれだけの分量が必要だったのでしょうか……
    十分に冷やされたコンソメは、熱い状態のコンソメとは違って、良く味わいが際立ちます。
    逆に、蛙の様な繊細な味のものは冷たいコンソメにしないと味が分からなくなってしまうでしょう。
    そういう計算がされた素晴らしいピラミッドなのです。
    古の神官や技術者の度量や技術に決して見劣りがする事のない「料理のピラミッド」が時を経て2016年の東京に顕れた一瞬でもありました。

    「蛙」のコンソメとゼリー内部の蛙の肉をほぐしながら、付け合わせのイタドリのちょっと癖のある酸味のソースを付けて食べると、エキゾチックな味が口に広がって、一瞬東京にいる事を忘れてしまいます。
    夜の帳がおりる砂漠で食べる透明なピラミッド……その不思議なピラミッドには、蛙の繊細さ高貴さを現した薄紫の花が咲いたのでした。




透明に透き通る夜のピラミッドは
ルーブルのピラミッドにも似ているね!?

ピラミッドカレー サリーワイルスタイル:Riz safran au curry en pyramide a la Saly Weli




    今回のコースでもう一つ頼んだものがありました。それは”カレー”でした。
    フランス料理で「カレー」と言うのは、一種奇異なものでもありますが、フランス料理が西洋料理の一つとして入って来た日本ではある意味分かち難い関係でもあります。
    日本の外来文化摂取の過程は遠く文明開化の頃に遡る訳ですが、その何派かある伝来の系統のうちで、横浜を経由して日本に入って来たルートもある訳です。
    その中の一つに、横浜のニューグランドホテルの総料理長として迎えられたスイス人である”サリーワイル”に由来する系統があります。
    今となっては「知る人ぞ知る」と言う具合になったサリーワイルですが、開港以来、日本屈指の港として栄えた横浜の外国人や日本の富裕層向けに本場のフランス料理を披露し、弟子達にもその格式高い料理の数々を通してフランス料理の神髄を伝授していきました。
    「荒田勇作氏」「小野正吉氏」などが後の日本のフランス料理をリードする重鎮クラスがこのサリーワイル系統のお弟子さん達にあたります。
    荒田勇作と言えば、レストランキャッスルと言われる伝説のレストランで差配を奮い、名声を欲しいままにした御仁であり、著作である「荒田の西洋料理」は一定の年齢以上のシェフであれば、フランス料理のテキストとして読み込んだ世代も多い当時必携の書。
    かたや小野正吉と言えば、ホテルオークラの総料理長として、帝国ホテルの村上信夫と共に日本のフランス料理界の双璧たる人物。
    その様な人物達を輩出すると共に、日本のフランス料理のシェフ達の技術レベルだけでなく、待遇面や海外への研修への扉を開くなど多大な貢献をしたのが”サリーワイル”その人だった訳です。
    サリーワイルの伝えたレシピや料理の一部は、今も横浜のニューグランドホテルに行けば食べる事は可能なのですが、メインダイニングでは無くカフェでの提供と言う少々残念な立ち位置でもあり、ニューグランドで食べる事になかなか食指が動かないのも確かだったのです。
    <<横浜のニューグランドホテルで「ドリア」を食べたのはこちら>>
    そんな事もあって、サリーワイルに興味はあったのですが、暫し頭の中からは消えていたのでした。

    しかし、今回のメニューの相談の際に【蛙の円柱】の他に「カレーを」と言うお話をして、「【蛙のピラミッド】で」と言う事に加えて「曾村が【カレーはサリーワイル風】で!!」と市川氏が満面の笑みで答えてくださった時に、「サリーワイルかぁ!!」と久しぶりに脳裏に蘇ったのでした。




    サリーワイル風

    その魅力的な名前にワクワクして今日のこの日を指折り数えて待つ事幾日………
    今、目の前に運ばれて来たカレーは

    黄金のピラミッド】だったのです!!

    サフランのまばゆいばかりの黄金色に染まった米粒一粒一粒の輝きと、鈍く銀色に光るソースポッドからレードルで汲み上げられた漆黒の液体は、共にエネルギー全開の太陽に光を余すところなく浴びているかのようです。
    美しい……眩しい……
    そして、先ほどの水晶の様な「蛙のゼリー」が夜のピラミッドだとしたら、この黄金の様な「蛙のカレー」は真昼のピラミッドに当たります。
    「夜」と「昼」、「月」と「太陽」
    見事なまでの対比構造ではないですか!!


フランス料理という美食の世界の中で
「太陽」と「月」の二元論的世界観が広がっているんだね!?


    米一粒一粒にまでしっかりと馴染んだサフランのちょっと薬臭い香りと、漆黒のカレーから薫る土の匂いが、食欲を掻き立てます。
    漆黒のカレーを黄金の煉瓦にまぶして口に入れます。
    舌の上を通る、普通のカレーよりも質感が高いけれどもそれほど粘度が高くはないモノと、要所要所に効いてくる胡椒の刺激と味が、これをカレーだと教えてくれる。
    そして、むしろフランス料理のソースと言って差し支えの無い質感とコンソメの味がしっかりとする液体は、これがカレーではあるけれども、我々日本人が常日頃から食しているカレーとは別の次元の食べ物だと言う事も教えてくれる。
    「なるほど、これがサリーワイル風かぁ」
    新しい世界の扉が開けた瞬間であった。
    ただ、「上品なカレー」「手間のかかったカレー」と形容すれば足りるものでは無い”フランス風カレー”
    それは、紛れもなく香辛料などから成る”カレー”と言う要素を組み込んだ”ソースの一つ”だったのです。
    たまたま、ご飯と共に食べるので、我々が認識する「カレー」になるのであって、別に「仔牛」や「蛙」と合わせれば、仔牛のローストカレーソースとか、蛙のフリットカレーソースなどと言うメニューになってもおかしくない代物なのでした。

    仔牛にたっぷりのソースを付けて食べる

    お米をたっぷりのソースに浸して食べる

    両方ともが同じことを指しているという事に気が付いた一時でもありました。
    「蛙」の淡白な味が、かえって今回のカレーの真意を引き出している様な気がします。
    カレーの濃厚な味に合わせる様にするならば、もっとはっきりとした輪郭の「羊」や「鴨」と言ったものでも良いのかも知れません。しかし、「米」を味わうと言うのが眼目であれば、逆に「蛙」くらいの繊細な味の方がより良くカレーソースの味を堪能出来ると言う計算だったのでしょう。
    先の相談の際に、市川氏を通じて曾村氏が「【サリーワイル風】で!!」と敢えて宣言したのは、そんな隠れた意図があったのかも知れません。

マンゴーのラッフルズスタイル:Mousse au mangue a la Raffles avec sorbet au lasi




    さて、カレーを通して、また蛙を通しての、一連のコースのデセールは、これまた曾村氏のスペシャリテである「マンゴーのラッフルズスタイル」でありました。
    サリーワイル風のカレーは、フランス料理ではありましたが、「カレー」はカレーなので、やはり独特の刺激的な感じは残っています。
    また、市川氏に「サフランライスのお替りはいかがですか?」と聞かれて、辻静雄が言う様に、あたかもトゥールダルジャンでギャルソンに向かって「ウィ」と答えるかの様に「お願いします♥」と答えてお腹一杯にサフランライスを食べた後でもあったので、喉越し爽やかで胃を調えるモノがデセールには良いと言うことでもあったのでしょう。
    消化を助けるマンゴーと、ヨーグルトのラッシーも添えてあります。
    甘くて、冷たいマンゴーとラッシーは非常にスルスルと胃の中に吸い込まれて行きました。
    曾村氏はラッフルズホテルでの経験もおありとの事で、東南アジア特有のムシムシとした中での上手な胃腸の刺激の仕方を心得ている様に思います。
    あれだけ一杯のサフランライスとカレーソース(実は、後のお替りを含めると、写真の2.5倍くらいの分量は食べた感じ)を胃に収めたのに、もうお腹が動いて何かを食べたくなってきたのです
    もちろん?「もう閉店しました」「材料が無くなりました」と言われるのは分かっているので、大人しく隣のサロンカーへと言われるのを待って余韻に浸るのでした。

チョコレートトリュフとクラフティ コーヒー




    サロンカーへと移動して、目の前に並んだのは、チョコレートのトリュフとクラフティでした。
    (あれだけのカレーを食べて)再び渇いてきたお腹を静めたのは、甘いチョコレートトリュフとコーヒーの組み合わせでした。
    どこのどなたが整えたのかわからないけれど、この組み合わせはなかなかにスッと胃袋が治まるから不思議なものです。
    そして、チョコレートよりは甘さが控えめな(といっても適度に甘い)クラフティが食後の満足感を固定してくれます。

    コーヒーを飲みつつ、今日の素晴らしいコースの一品一品を思い起こしては生唾を飲むと共に、その含意を考えつつ、フランス料理の美味しさと贅沢さにしみじみと耽るサロンカーの中の時間もまた格別なものです。
    久しく頭の中から気配が無くなっていた”サリーワイル”……【蛙】のピラミッドと言う、昼の宮殿と夜の宮殿を経て、眠れる巨人は漆黒のソースとなって再び目を覚ましたのでした。

    最後のプティフールには、曾村氏のカービングした花が添えられてきます。
    「パリの夕暮れ(パリソワール)」「蛙の夜の宮殿」「蛙の昼の宮殿」「マンゴー」と来て、最後に「紫色の花」。刻々と変化していく時間の中で、彫刻の繊細な花と、蛙のピラミッドの上の花が重なる時、このコースの終了を遂げる合図となったのでした。。